IAEA「除染」報告を「適切」な提言と評価した読売、産経、日経3紙

◆高すぎる目標に一石

 東京電力福島第一原発事故に伴う除染について、国際原子力機関(IAEA)の調査団が、政府が長期目標として掲げる被曝線量「年間1ミリシーベルト以下」に「必ずしもこだわらなくてもよい」との見解を示した。

 同調査団は14日に来日して、福島県内の除染作業を視察したり、国や関係自治体から除染の取り組み状況について聞き取り調査を実施。21日に石原伸晃環境相に除染に関する報告書を提出した。

 同報告書は、除染作業が良好に進捗していると評価しながらも、除染から復興までの流れを見渡せる全体的な計画を示すことが、住民理解につながると指摘。会見したレンティッホ部長は、除染の費用対効果についても言及し「(除染で得られる)利益と負担のバランスを考えて作業の最適化を図ることを推奨する」と語った(本紙22日付など)。

 この報告書について、社説で論評を示したのは日付順に日経(22日付)、産経(24日付)、読売(25日付)の3紙。

 冒頭の見解に対し、まず日経は、1ミリシーベルトについて国内でも「目標が高すぎて非現実的だ」などとの批判が出ていることを挙げ、除染の進め方をめぐる論議に「一石を投じた形」と評した。

 産経はさらに、「非現実的な目標が復興の妨げになる弊害を、外部の客観的な視点から指摘したもの」と積極的に評価。読売も「適切な指摘」として、環境省に対し「IAEAの見解に沿い、除染を加速させることが求められる」と強調した。

 いずれも、同報告書を是とし、それを生かすよう求めている。全く、同感である。

◆「ゼロ」は幻想と産経

 特に、3紙がそろって強調するのは、「1ミリシーベルトが安全と危険を分ける境界線ではない」ということ。

 それというのも、1ミリシーベルト以下にならなければ帰還できないと思い込んでいる避難住民が少なくない、からである。国際的には、事故が収束するまでの当分の間、被曝線量は年間20~1ミリシーベルトの間で状況に応じて適切に管理し、将来的に年間1ミリシーベルト以下を目指すという国際放射線防護員会(ICRP)が示す見解が普通で、今回のIAEAの見解も正にそれに沿ったものと言えるのだが、そうした“世界の常識”がわが国では広く認識されていないのである。

 このような住民意識の背景について、産経は、「原発や放射線のリスクは、一切あってはならない」というゼロリスク幻想がある、と指摘する。「民主党政権の『原発ゼロ』政策が生んだ負の遺産」(同紙)である。

 この点は、読売も同様で、「民主党政権が、徹底除染を求める地元の要望を受け、1ミリ・シーベルトを当座の目標にしたことが尾を引いている」と指摘する。

 読売が指摘するように、ゼロリスクにとらわれると、「除染完了のめどが立たなくな」り、「住民の帰還は遅れるばかり」になる。その意味では、IAEAの見解や部長の会見でのコメントは、日本の現状に対する的を射た、温かい提言と言える。

 報告書は、政府に対し「1ミリシーベルトは除染だけで短期的に達成できるものではないことを丁寧に説明するよう」求めてもいる。この点は、産経が強調するように、政府と原子力規制委は、説明責任を十分に果たしてこなかったことを重く受け止めるべきであろう。そうすることで、1ミリシーベルトを一気に目指すのでなく、「段階的に取り組めば、除染からインフラ復旧に、より多くの費用を振り向けられる」(読売)のである。

◆論評ない反原発各紙

 日経は、1ミリシーベルトを目指すという長期の目標は大事にしつつも、住民の帰還や地域の復興を射程に収めた、現実的な足元の除染目標と除染計画を練るべき時期だろう、と指摘したが、これまた、その通りで、今回のIAEAの報告書はそれを始める絶好の機会である。「いかに効率よく的確に除染を進めるか。喫緊の課題である」(読売)

 保守系では、これら3紙と同様、エネルギー政策上また貿易収支赤字化から原発再稼働の遅れを憂うる本紙に、論評がなかったのは残念である。

 一方、反原発あるいは原発に慎重な朝日、東京、毎日には論評はなかった。自らの社論に都合の悪い内容とあっては当然か。

(床井明男)