高浜原発再稼働差し止め仮処分が招く事態に他人事の朝日、アエラ
◆意識低い「ムラ」叩き
関西電力高浜原発3、4号機に対し、初の再稼働差し止め仮処分を福井地裁が認めた。仮処分を認めた経緯は、本紙にも詳しいので繰り返さない。問題にしたいのは、週刊誌編集者、記者のエネルギー問題に対する認識不足、意識の低さについてだ。
原告らの、あたかも原発をすぐ止めなければ、世界は明日にでもなくなってしまうというごとき主張、それを鵜呑みにし科学的知見を曲げて仮処分を認めた福井地裁の樋口英明裁判長。その短絡的な視点をそのまま反映している週刊誌記事。その一つが週刊朝日(5月1日号)「高浜原発再稼働ストップ/原子力ムラVS反原発弁護団の闘い」で、タイトルからしておどろおどろしい。
「反原発弁護団」はその通りだが「原子力ムラ」とは用語解説の知恵蔵2015(朝日新聞社発刊)によると「原子力発電を巡る利権によって結ばれた、産・官・学の特定の関係者によって構成された特殊な社会的集団及びその関係性を揶揄(やゆ)または批判を込めて呼ぶ用語」とあり、既に記事タイトルからしてバイアスがかかっている。正義の味方が利権がらみの事業に待ったを掛けたという構図だ。
しかるに、原子力ムラと名指しされる人物は一人も出てこない。ただ関電関係者と記された者の「姑息(こそく)な裁判だ」や「(前略)関電も訴訟対応が甘い。値上げばかりして、いちばん原発を動かしたがっていたはずなのに、このざまだ。(後略)」という「経産省幹部」子の恨み節のコメントが出てくるだけ。勝負ありと決めつけている。記事は「(こういった大勢なのに)それでも安倍政権は再稼働推進路線を変える気配がない」と当局の姿勢をあげつらっている。
◆独立性高い「規制委」
また反原発派の元経産官僚の古賀茂明氏は「原発推進派は今後、メディアなどを使ってなりふり構わず『原発が動かないから電気料金が値上げされる。原油の輸入で国富が流出する』と強調してくるでしょう。経団連や中小企業団体などに『裁判所がモタモタしているから電気料金が上がって業績が悪化した』と言わせれば、裁判所には相当なプレッシャーになります」と。揣摩(しま)臆測でしかない。
一方、アエラ(4月27日号)の「高浜原発の仮処分が全国の原発に与えた衝撃/再稼働できる原発ゼロ」では「再稼働へ突き進む政府や業界の“理屈”を、司法は真っ向から否定した」(リード文)と、こちらも勇ましい。
「今回の決定には、専門家からは『これだと科学的に限界がある』という批判もある」とした上で、「しかし、福島第一原発事故から4年経っても、原子力政策に大きな転換点を見いだせない。政府や電力会社の取り組みに、原発事故を起こした教訓や反省、民意への配慮が見られない以上、福井地裁の決定に親近感を覚える人は少なくないだろう」と締めくくっている。
事故後の対応の評価をまったくスルーして、「原発事故を起こした教訓や反省、民意への配慮が見られない」と断じるアエラ記者の筆遣いには大いに疑問を感じる。
同事故から4年。事故調査委員会が結果を出し、それに基づいてアクシデントマネジメントの指針を作った。また国家行政組織法3条に規定され、環境省の外局として原子力規制委員会が置かれた。通称3条委員会は旧原子力安全委員会などのように省府が設置した委員会などと違い、予算や人事面で省府から独立している。ゆえに、他の省府からの影響を受けにくく行政機関としての独立性が高い。
◆石油文明の代替示せ
総じて他人事の言質と言わざるを得ない。原子力をエネルギー源として使わなければ、石油文明に頼る期間は延長され太陽エネルギー由来の太陽発電、地熱発電、風力発電など代替エネルギーにおんぶしなければならない。一般社会の太陽エネルギーに対する期待が大きいことは理解できるが、その本質的な特徴は定常性がないこと、またエネルギーの分散的性質だ。人類文明がたどってきた都市の形成や人口の集中に対処できるものではない。
鋭敏であるべきジャーナリストにして世界のエネルギー事情に疎いのはかくのごとくだ。歴史上、日本は自ら先頭に立って人類文明を構築するという経験を持たなかった、悔しいがそういう経験不足のせいだと思わざるを得ない。
(片上晴彦)