菅長官・翁長知事会談に際し橋本元首相を持ち上げた「サンモニ」
◆違法行動に論評せず
沖縄・米軍普天間基地の辺野古移設のための埋め立て工事が進んでいるところへ、昨年11月に辺野古移設反対を掲げて沖縄県知事選挙で当選した翁長雄志(おながたけし)知事と国との対立が深まっている。5日放送の報道番組では、その翁長知事と菅義偉官房長官との会談を一つの焦点にしていた。
沖縄は復帰前夜の1960年代からベトナム戦争反対の闘争舞台となり、反戦反安保など左翼運動の歴史がある。本土でも、住民感情と左翼の反政府運動が深く結び付いてしまった例に成田空港反対闘争があった。同空港開港直前に起きた事件が極左グループによる管制塔襲撃占拠事件(78年4月)だったが、その管制塔も老朽化により取り壊しが決まったというニュースが4日に流れた。空港は出入国客で賑わい隔世の感だ。
今日、騒然としているのは辺野古である。のぼり、ゼッケン、プラカードを持った人々をテレビは映すが、決まって「抗議活動する人」といったナレーションで済ましてしまう。TBS「サンデーモーニング」を視ると、警察官への公務執行妨害で逮捕者が出て、「身柄を返せ」とシュプレヒコールする様子を映すが、番組としては論評抜きで運動の性格に触れない。
よほどの確信犯でなければ警察官に妨害はしないだろう。本紙8日付に、沖縄平和センターの山城博治議長らが辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前で境界線を越えて逮捕された際の映像がインターネットの動画サイトで公開されたという記事が載ったが、ユーチューブでその人名を検索すると幾つかある。
比較的高齢で成田闘争時代の左翼運動世代とも思えるような風貌の人々が米兵ともみ合い、尋常ではない。が、テレビは過激派組織IS(「イスラム国」)の動画は放送しても、キャンプ・シュワブゲート前の境界線を越えるのを制止に来た米兵を殴る“抗議活動する人”の違法行為は放送しない。
◆気持ち大事と田中氏
菅長官と翁長知事の会談を控え、同番組は知事の辺野古埋め立て作業停止指示(3月23日)からの国と沖縄県の対立に触れた後、出演者がコメントした。ここで、移転先を前提条件にクリントン米大統領(当時)から普天間基地返還を引き出した故橋本龍太郎元首相を持ち出したのが、第1次橋本内閣で経済企画庁長官だった桃山大学教授・田中秀征氏。
96年2月の訪米から帰国した橋本首相が、沖縄に対し「戦中戦後と我々本土の人のために大きな苦難を担ってもらったんだから、できることがあったらできる限りのことをするのは当然のことだ」と述べたというエピソードに触れ、「そういう気持ちがあるかどうかが大事。当時、(橋本氏は)大田昌秀知事と十数回会っている。不愉快なことがあっても出掛けてゆくんですよ」と説いた。
これに左派論客の佐高信氏が相槌を打ち、「大田知事が、嬉しかった沖縄への深い関心という追悼文を(橋本氏に)書いている」と紹介。また、厳しい橋本氏批判をしていた自身に橋本氏が直接電話を掛けてきて「認識がちょっと変わった」との体験談を述べた。尤(もっと)も佐高氏は「保守の知恵みたいなものがあったのが、今は知恵なしがトップに立っている感じがしてしょうがない」と毒づき、橋本元首相評価の狙いは見え透いていた。
ただ、政府・沖縄県関係の状況は橋本内閣当時と違う。橋本内閣は自社連立で保革対立を棚上げしており、社民党の大田知事とは与党同士の間柄だった。翁長知事は2000年那覇市長選で「共産党主導の32年間の革新市政」を批判して自民党から当選したが、一転して知事選では共産党の支援を受けて「自共対決」の御輿(みこし)に担がれている。
「保守の知恵」を絞ってたどり着いた辺野古移設も、これを沙汰やみにするため左翼陣営が「知恵」を絞る翁長県政が相手では、何度交渉しても平行線かもしれない。
◆対話して賛成民意を
また、米国一極体制と言われた冷戦後に「普天間返還」の土産を手にした橋本首相と、米国衰退と中国の脅威を前に抑止力を保とうとする安倍晋三首相とでは安保環境は激変。さらに、橋本政権と安倍政権の間に、日・米・沖縄関係を複雑にした鳩山由紀夫民主党政権への政権交代があった。日米合意白紙化の「国外県外」公約に熱狂したものの、結局、辺野古移設に回帰したことに怒りが収まらない県民感情が尾を引いていることは確かだ。
安倍政権は胆力のいる困難な作業に着手したが、沖縄には辺野古移設賛成の民意も存在する。そのような賛成民意を増やすことに対話重視が持つ意味はあるだろう。
(窪田伸雄)





