緊急条項で改憲しなくてもと国民保護法まで持ち出した朝日の方便
◆説明と合意説く日経
戦後70年にして憲法改正の動きが本格化してきた。安倍晋三首相は国会発議とその賛否を問う国民投票の実施時期を2016年夏の参院選後とする認識をすでに示している。首相が改憲への政治日程を明らかにしたのは戦後初めてだ。国会では衆院憲法審査会が先週、今通常国会では初めて開催された。
これを受けて日経はこう言う。「変える必要があれば変える。どんな物事にも当てはまる話だ。憲法も時代の変化などで不都合な点が生じれば直すのが当然だ。どこに問題があるのかを与野党が幅広く論じ合い、結果として改憲すべき項目が自然に浮き彫りになる。そんな話し合いを期待したい」(3日付社説「改憲論議は論点を絞り込まず幅広く」)
日経がこんな注文を付けたのは、自民党が「いちど改憲を味わってもらう」という「お試し改憲」論で、国民の合意を得やすい課題から論議しようとしているからだ。緊急事態条項と環境権、財政規律条項の三つで、懸案の9条論議を先送りする考えだ。
それで日経は「楽に実現する『お試し改憲』などありはしない。改憲派こそ護憲派以上になぜ変えたいのかを積極的に訴える責任がある。どういう憲法にしたいのか。回り道でも、全体像をじっくりと説明し、国民的な合意をつくり出すべきだ」と、正論を説いている。
朝日も9条先送りに疑問を呈し、「本番前の『ならし』とでもいうのか。これでは物事の順序が逆さまである。とても受け入れられるものではない」(3日付「憲法と国会 『緊急事態』論の危うさ」)としている。だが、その意図するところは日経とは大違いだ。
◆異様な反対から一転
朝日が「ならし」に反対するのは「憲法で縛られる側の権力者にとって都合のいい内容になるのを防ぐため、憲法改正には高いハードルがある。自民党がやろうとしていることは、このハードルを越えるための方便ではないか」と、あくまでも護憲のためだ。
「憲法で縛られる側の権力者」と朝日は言うが、それは国家対市民の構図で描く19世紀の憲法観だ。21世紀はデモクラシーの国家で、国家イコール市民・国民という等式で捉える。だからこそ、民主国家では改正に国会採択や国民投票といった条件を設けている。
つまり、民主国家では単なる「権力者の都合」や「方便」ではとても改憲できない。それが常識だ。にもかかわらず、方便を持ち出す朝日のほうこそ、方便が過ぎる。
おまけに朝日は、日経が「論点を絞り込まず幅広く」改憲論議を促すのとは対照的に、緊急事態条項に論点を絞り、それも「安易な議論は、きわめて危うい」と、言論封殺の姿勢を露(あら)わにする。
その理由が実に怪しげだ。「憲法を改正しなくとも、緊急時の対応はすでに災害対策基本法や国民保護法などに定められている」と言っている。そういう論理なら、憲法を改正しなくても自衛隊法などで集団的自衛権が行使できるようにすればよい。国民保護法については朝日が異様な反対キャンペーンを張ったことで知られる。それが一転、持ち上げる。恐れ入った方便だ。
◆戦後独も設けた規定
また朝日は「緊急事態条項は、憲法に基づく法秩序を一時的にせよ停止するものだ。戦前のドイツでワイマール憲法のもと大統領緊急令が乱発され、ヒトラー独裁に道を開いた苦い歴史もある」と、陳腐な話を持ち出している。
こんな例をもって護憲を唱えられてはドイツ国民も迷惑だろう。と言うのは、ドイツ(西ドイツ)は敗戦当初、憲法(ボン基本法)に緊急事態条項がなかったが、1968年改正で新たに緊急事態条項を設けているからだ。
同条項にはナチス独裁の苦い経験をもとに、緊急事態下で立法機能を休止させず、平時において国会議員の中から有事用「合同委員会」議員(48人)を選任し、緊急事態に備えるなどとする規定も設けている。ドイツの例を持ち出すなら、それを言うべきだ。
そもそも憲法に緊急事態時の規定がない国は皆無だ。永世中立のスイスでも民間防衛で備えている。朝日の否定論は世界の笑いものだ。論議を行ったうえで必要ないと言うならまだしも、朝日は議論そのものの封殺を狙う。これこそ「物事の順序が逆さま」だ。
(増 記代司)