「世界は一家」の八紘一宇を「侵略正当化標語」と曲げて批判する朝毎
◆国旗の次は言葉狩り
「八紘一宇(はっこういちう)」がやり玉に挙げられている。自民党の三原じゅん子女性局長が参院予算委員会で「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」として紹介したところ、朝日と毎日から「戦争推進のスローガンを国会に持ち出した」と袋叩きに遭っている。
八紘一宇とは、神武天皇が大和橿原(かしはら)に都を定めた際、「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為さむ」(『日本書紀』)と述べたことに由来する。「世界人類が一家同様、平和和睦の交際をなす」という意味で、平たく言えば「世界は一家、人類はみな兄弟」を指す。
それを三原氏は企業の国際的な課税回避問題を論じる際、「世界が一つの家族のようにむつみ合い、助け合えるような経済、税の仕組み」を作りだす精神として取り上げた。特段、問題にすることもない。
ところが、朝日は19日付「ニュースQ3」で「戦時中のスローガンを国会でなぜ?」と批判し、29日付社説では「太平洋戦争中は日本の侵略を正当化する標語として使われた」とし、「『わたし』を中心にものごとを都合よく把握し、他者の存在をまったく考慮に入れない。狭隘(きょうあい)かつ粗雑な世界観が、あちこちから漏れ出している」と、安倍政権批判にまで話を広げている。
毎日は27日付夕刊「特集ワイド」で、「戦意高揚スローガン『八紘一宇』国会発言 問題視されない怖さ」と、追及の鈍さを批判し、宮崎市の平和公園にある八紘一宇の塔を「アジア諸国を踏みにじり日本を破滅に導いた戦争を象徴するモニュメント」と指弾している。
かつて朝日と毎日は「日の丸」を「侵略戦争のシンボル」と断じ、国旗として認めようとしなかった。日教組も「軍事大国のシンボル」とか、国家主義的な日本人の自覚をもたせる役割を担ったとか、さまざまな難癖をつけた。どうやら同じ論理で八紘一宇を葬りたいらしい。
◆東京裁判も採用せず
だが、「侵略を正当化する標語」という朝日的捉え方は正しいだろうか。確かに第2次大戦中、八紘一宇は「ジャパン・インペリアリズム」(日本帝国主義)と訳され、東京裁判(極東軍事裁判)では検察側から「共同謀議」の証拠として持ち出された。だが、判決では採用されていない。
1941年のハル米国務長官と野村吉三郎駐米大使との日米交渉の了解案では、八紘一宇は「ユニバーサル・ブラザーフッド」と訳され、世界同胞主義という普遍的道徳観として認められていた。こうした事実を被告側弁護人の清瀬一郎弁護士(後に衆院議長)が冒頭陳述で明らかにし、八紘一宇が誤解されていると論証した。
後に清瀬氏は「(東京裁判では)事実問題で弁護側の証明に成功したのは、ただ八紘一宇が侵略思想でないということと、タイ国はわが国の同盟国であって、タイ国の俘虜に対する虐待はあるはずがないという、二つぐらいである。…敵意をわれわれに対してもっていた裁判官さえ、八紘一宇の思想は道徳目標と認めざるを得なかったということを示す大きな事実である」(『秘録 東京裁判』中公文庫)と述懐している。
敵意を持っていた裁判官でさえ、道徳目標として認めたのに朝日や毎日はなぜ、今なお敵意を抱き続けるのか、理解に苦しむ。なるほど「反日」の輩と批判されるわけだ。
◆「家族」批判も延長に
加藤栄一・筑波大学名誉教授は八紘一宇を「家のルール」と称している。日本の社会は家を模範として作られており、会社も官庁、学校も家族をモデルとして営まれてきた。「一宇」(一つの家)というのは、父あり母あり子供ありで、互いに慈愛と正直でもって維持されている共同体という概念だとしている(『宗教と国家』国際クリスチャン教授協会編)。
そう言えば、朝日と毎日は「家」嫌いで知られる。道徳教育も良しとせず、個人や人権ばかりを声高に叫ぶ。かつて厳しく戒められたソドミズム(不自然な肉欲)や邪淫(よこしまな性関係)も「性的少数者」と称して擁護している。
そういう延長線上に八紘一宇批判もあるのだろう。「狭隘かつ粗雑な世界観」をまき散らしているのは、どっちだと問いただしたい。
(増 記代司)