尖閣諸島を日本領に描く1969年中国地図に扱い小さく鈍い各紙
◆歴史捏造する共産党
『歴史写真のトリック 政治権力と情報操作』。こんなタイトルの書籍が朝日新聞社から出版されている(1989年刊)。著者は仏ジャーナリスト、アラン・ジョベール氏。独裁者が歴史写真からライバルを抹殺したり、自らを美化するために修整したりした捏造(ねつぞう)写真を多数紹介している。
とりわけレーニンやスターリン、毛沢東ら共産党の独裁者の「トリック」は圧巻だ。よくもそこまで、と思うほどの捏造ぶりだ。例えば、レーニンで最も有名なのは演壇上から出征部隊に檄(げき)を飛ばす写真(1920年)だが、傍に写っていたトロツキーは後の写真やポスター、切手などからことごとく消し去られた。
中国共産党も「トリック」の常習犯だ。1945年10月に毛沢東は天安門上で建国宣言を行ったが、演壇には歴史的指導者がすべて彼を囲んで出席したのに後の写真では毛沢東1人だけが宣言したかのように修整された。
文革期には江青ら「四人組」が歴史写真から政敵を消し去った。ところが四人組が逮捕されると、今度は彼らが抹殺された。例えば1947年に陜西省北部を騎行中の毛沢東の一行の写真には、毛沢東の背後に細身の江青が写っていたが、四人組が失脚すると彼女は消された。
ジョベール氏によれば、江青を消し去った修整写真は延安の革命博物館に飾られており、説明文には「長征中の毛沢東」と記されている。共産党の不屈の伝説とされる長征(34~36年)の美化に捏造されているわけだ。朝日がこんな歴史捏造を暴く書籍を出版していたとは、今となっては何とも皮肉である。
いずれにしても共産党は歴史捏造がお手の物だ。おまけに「嘘も百回つけば本当になる」(レーニン)の伝統を持つ。だから尖閣諸島を中国領と言い募るのは朝飯前だろう。
◆地味に扱う朝・日経
わが外務省は、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始める前の1969年に作成した地図をホームページ上に公開した。地図には尖閣が「尖閣群島」「魚釣島」などと日本側の呼称で記載されており、当時は日本領土と認識していたことを示している。
これに対して中国外務省の報道官は「釣魚島が中国に属するのは否定できない事実だ。1、2枚の地図を探し出したところで覆せるものではない」と反論している。報道官は69年生まれで、歴史捏造にどっぷり浸かって育った世代だ。存外、尖閣が中国領と信じているのかもしれない。
だからこそ、本紙18日付社説が言うように「執拗(しつよう)に領有権主張を繰り返す中国に対抗するには、地道で粘り強い広報の取り組みが不可欠だ。外務省は今後も一層の工夫を重ねる必要がある」。メディアもそうだ。
ところが、新聞の反応は鈍い。外務省が地図を公表した16日の夕刊を見ると、読売が1面で報じるものの、毎日は中面、朝日と日経は落としている。翌17日付朝刊では夕刊のない産経と本紙は1面で報じたが、朝日と日経は中面で地味な扱いだ。
毎日18日付に至っては中国報道官の発言を「中国『1、2枚で覆せぬ』」と、一報より大きく報じる始末だ。本紙社説は「日本の一部の有識者が、中国の領有権主張を支持するかのような見解を示しているのは憂慮すべきことだ」とするが、自国の見解をないがしろにする新聞も同類だ。
◆沖縄2紙も関心薄い
尖閣の地元、沖縄の新聞を見ると、琉球新報17日付1面トップは「オスプレイ部品落下」、沖縄タイムスは「普天間閉鎖を計画 68年の在日米軍再編で」と、いずれも米軍モノで、中国地図は中面。地元の権益にも関わる報道なのに扱いが小さ過ぎる。
ちなみにオスプレイの落下物は「縦約20・2㌢、横約7・6㌢で、重さは約164㌘」つまり大きさは封筒、重さは文庫本ぐらいで、むろん一歩間違えば人命に関わるが、大騒ぎするほどのものか疑問。後者は米公文書からのもので、検討された程度の話だ。当時と国際安保環境は変化しており、これをもって普天間閉鎖を論じるのはこじつけも甚だしい。
というわけで、沖縄も本土も左派新聞は中国の「トリック」に寛容で、「お前のやった事は、全部お見通しだ」と啖呵(たんか)を切る勇気を持たない。これをもって親中という。
(増 記代司)





