文民統制=文官統制とのはき違えた考えで軍事音痴を助長した朝毎

◆制服組は対等が常識

 これで防衛改革が一歩前進する。安倍内閣は防衛相を補佐する防衛省の内局(背広組)と自衛隊の各幕僚監部(制服組)を対等とする同省設置法改正案を閣議決定し、今国会に提出する。

 これまで対等でなく、内局が上位に位置し「文官統制」と称されてきた。防衛省設置法(12条)は内局の局長らが防衛相を「補佐」するとしたうえで、防衛相は陸海空自衛隊と統幕に指示・監督を行うと規定しており、局長らが自衛隊を指示・監督すると解されてきた。

 それで大臣への報告も内局が必要な事項を各幕僚監部と調整して調停するとされ、内局を通じなければ制服組は大臣に報告すら上げられなかった。これでは軍事情報が正確に伝わらず、時間的ロスもきたし、有事に即応できない。他国には存在しない異様な文官統制である。

 それを今回、背広組は政策的見地、制服組は軍事的見地から対等の立場で大臣を補佐するように改める。それによって文民統制(シビリアンコントロール)をより確実なものにする。しごく当たり前の改革と言ってよい。

 が、これに対して朝日は「文民統制(シビリアンコントロール)を担保する観点から懸念がある」(2月25日付社説)とし、毎日は「文民統制を貫けるか」(3月2日付社説)と疑問を呈している。両紙とも制服組の地位向上が気に入らないらしい。どうやら文民統制=文官統制とはき違えているようだ。

◆政治に従属する軍事

 シビリアンコントロールとは本来、政治の最大の課題を国家の安全と独立を維持することと捉え、そのためにどの程度の実力組織(すなわち軍隊)を保有し、有事にいかなる戦争指導を行い、和戦をどうするか、そうした政治判断を下すことを指す。

 むろん政治には軍が本来の任務を超えてその実力を乱用することのないよう監督する責任がある。朝毎はこの点だけを強調するが、政治の役割はそれだけではない。政治が最も重視すべきは、軍が本来の任務を最も効果的に遂行し得るよう諸条件を整備することだ。軍事はあくまでも政治に従属している。それが文民統制の本来の意味だ。

 軍には国家に対して果たすべき責任があり、例えば国家の安全のために必要と考える最小限の要求を提示し、有事における政治の決定に当たっては軍事的観点から助言し、国家の決定には命懸けで執行する。

 これによって政治が正しく軍事を主導し、国の平和と安全を守ることができる。これが欧米民主主義国の常識的な文民統制観だ。わが国の文官統制は異質である。

 この点は朝毎も認めている。朝日は「日本では文民統制を確保する手段のひとつとして、背広組が防衛相を補佐する体制をとってきた。戦前・戦中に軍部が暴走して無謀な戦争に突き進んだ反省から生まれた措置」としている。

 毎日も「日本は旧日本軍が暴走し無謀な戦争に突き進んだ反省から、民主主義的な政治が軍事に優先する厳格な文民統制の制度をとっている」と、いずれも文官統制が敗戦国日本だけの特殊な仕組みだと認識している。

 ならばなぜ、常識的な文民統制に改めようとしないのか。いつまで羹に懲りて膾を吹き続ければ気が済むのか。朝毎の態度は解せない。

 こういう文民統制=文官統制とする、はき違えた考え方が政治から軍事を遠ざけ、本来の文民統制を阻害してきたと知るべきだ。

◆危うくするのは朝毎

 戦後しばしば国会に安保問題を集中的に論じる委員会を設置する動きがあったが、朝日や毎日などの左派新聞によってことごとく潰された。国会に安全保障委員会(衆院。参院は外交・防衛委員会)が初めて常設されたのは、実に戦後半世紀近くも経た1991年のことだ。

 文官統制を持ち上げておきながら、防衛当局を総理府の外局に固定化しようと、省昇格論に反対し続けたのも朝日と毎日だ。それで省昇格が遅れ、防衛省に昇格したのは戦後60年以上も経た2007年のことだった。

 事ほどさように文民統制を危うくしてきたのは、ほかならない朝日と毎日だ。このことを忘れないでもらいたい。

(増 記代司)