虐待による愛着障害の治療で脳科学への過剰な期待諫めた「クロ現」
◆唯物論的な人間観に
近年、脳科学の発達は目覚ましく、脳のどの部位がどのような精神作用に関わっているのかが分かるようになってきた。かつてNHKスペシャルが電極の付いた細い管を脳に差し込んで、うつを治療する「脳深部刺激」を紹介したことがあるが、あれも脳の働きについての解明が進んだことで出てきた治療方法である。
だが、脳の研究が進めば進むほど現実味を帯びてくるのは、医療機器や薬の投与によって、人の喜怒哀楽がコントロールされてしまう恐ろしい世界だ。脳科学や精神医学が人間の根源を物質と考える唯物論的な人間観に結びついている限り、この懸念は強まってくる。
NHK「クローズアップ現代」が今月9日、「少年犯罪・加害者の心に何が~『愛着障害』と子供たち~」を放送した。番組を見て、児童虐待によって起きた脳の異変を薬によって回復させる可能性を探る研究を知った時も同じ懸念が脳裏をよぎった。幸い、ゲスト出演した児童精神科医が脳科学に過剰に期待することを諫(いさ)めたので安堵(あんど)したが。
番組のテーマにある「愛着障害」を説明しよう。乳幼児期には、親と離れたりして不安を覚えると、親に近づいて安心感を得ようとする。逆に、長期にわたって虐待を受けるなど、愛情を得られなかったことが原因となって人間関係をうまく築くことができないことがある。これが愛着障害だ。
◆愛着障害と脳を解説
ゲスト出演した岐阜大学医学部准教授で児童精神科医の高岡健さんは、子供を船、親を港に例えて、愛着形成を次のように解説した。「港、すなわち親や家族が安心できる場所、安全な場所だと、船の子供は外の海に向かって悠然と出掛けていくことができる。燃料がなくなってくると、安心な港に帰ることができる」 そして、この愛着形成で大切な期間は3歳ぐらいまでという。子供の情緒を健全に育てるには、3歳ぐらいまでに母親をはじめとした家族からたっぷり愛情を受けることが大切だと言われている。しかし、フェミニストはそれには科学的な証拠はなく、女性を家庭に縛り付けるための「神話」にすぎないとして「3歳児神話」という言葉を流布させたが、愛着形成は3歳までの子育ての重要性を発達心理学の観点から裏付けているのだ。
一昨年、広島の山中で、男女7人が起こした少女(16歳)殺害事件の主犯格の少女に、幼少期に虐待を受けたことに由来する愛着障害があると指摘されている。番組が注目したのは、脳科学の視点から愛着障害を研究し、治療につなげようとしている福井大学病院の研究者の取り組み。愛着障害のある子供と、平均的な子供の脳を比較すると、「前頭皮質」と「線条体」に差が見られるという。
前者は感情や理性をつかさどり反社会的な行動を抑制させる働きをする部位。愛着障害の子供はその体積が減少する傾向があるという。後者は前頭皮質から信号を受けて行動をコントロールすることに直接関わる部位で、愛着障害の子供は刺激を受けてもその反応が鈍いことが分かっている。
◆薬より親子家族関係
こうした知見を生かしながら、愛着形成つまり親とのスキンシップで安心感を得られた時に分泌されるホルモン(オキシトシン)が愛着障害の治療に有効ではないかとして、研究が進められている。番組では、こうした薬による治療は人間関係を取り戻す心理的アプローチと合わせることで意味があると、付け加えていたので、その問題点をある程度認識しているのだろう。しかし、注意欠陥多動性障害(ADHD)治療薬など子供に対する向精神薬の処方が近年増加しているのを見ると、愛着障害でも安易に薬に頼る治療が行われる恐れは否定できない。
このため、前出の高岡さんは、現段階でオキシトシンの有効性は分かっていないと強調した上で、「多少の効果があると仮定しても、そればかりで問題を解決しようというやり方は間違っている。あくまでそれぞれの人間関係を修復していくことに主眼が置かれるべきだ」と訴えた。
脳の働きだけ見ていたのでは、人の心は理解できないし適切な治療方法も出てこない。脳科学の知見はあくまでも親子関係、家族関係の大切さを示すデータとして、教訓的に使われるべきだろう。
(森田清策)