阪神大震災20年に災害時報道の在り方で「娯楽」論じる「新フジ批評」

◆救助妨げる報道ヘリ》

 6434人の犠牲者を出した1995年の阪神大震災から1月17日で20年を迎えた。

 NHKはこの日、震災発生時刻に合わせた早朝の番組をはじめ、昼、夜と続き翌日も特集番組や関連ドラマなどを放送した。

 一方、民放は大々的に特集番組を組まず、ニュース報道以外は普段通りの番組が多かった。

 その民放の中で、少し違った視点から阪神大震災を振り返る番組があった。17日早朝に放送された「新・週刊フジテレビ批評」だ。

 同番組は「フジテレビの放送番組についてチェックする自己検証番組」を謳(うた)っており、第三者ではなく自社で番組批評することをウリにしている。

 17日の放送は、特定の番組ではなく、ゲストに防災システム研究所の山村武彦所長を呼んで、自然災害時のテレビ報道の在り方を論じた。

 山村氏は、阪神大震災の際に報道機関のヘリコプターが上空を飛び回り、生き埋めになっている人の助けを求める声がヘリの音でかき消される現場に遭遇したことで、「報道が救助活動を阻害していないか」という懸念を持ったことを語った。

 その上で、災害救助活動時にヘリや重機を一時的に止める「サイレントタイム」が海外で行われていることを説明。「(日本でも)サイレントタイムを考えていかなければいけない。命を守るためにマナーも大事だ」と述べた。

 「サイレントタイム」の必要性は以前から言われているが、報道機関が改めて考える必要があるのは間違いない。

 また山村氏は「情報が(被害の)酷いところだけに集中し、クローズアップされた避難所だけ救援物資やボランティアが集中する」とし、被害があまり伝えられない場所は救援物資が届きにくくなり、「影ができてしまう」と主張した。

◆「娯楽」求めた江川氏

 一方、山村氏の聞き役に徹していたコメンテーターの江川紹子氏だったが、番組後半で「被災者はむしろグルメ番組やアニメ番組を見たかったりする」との自説を展開。「放送局で話し合いをして(災害情報と娯楽番組を)分散化できないか」と述べ、テレビ局が災害時にも娯楽番組を放送するよう求めた。

 避難場所では楽しみが少なく、ストレスが溜まる。中には娯楽番組を楽しみたいという人はいるかもしれない。

 だが、大多数の人は被害状況や救援物資がいつ届くのかという情報を知りたがっているはずだ。特に震災からしばらくは、被害情報の方が重要になることは言うまでもない。

 筆者(岩城)は東日本大震災が発生してすぐに被災地に入ったが、避難所にいる人たちはテレビで新たな災害情報が流れると、かじりつくように見入っていた。あるいは新聞が届くと、何か情報は載ってないかと隅々まで熱心に読んでいた。

 電話もインターネットも繋(つな)がらない上、役場も混乱して最新の情報が錯綜する中、頼りになるのは新聞やテレビ、ラジオなどの既存メディアだった。

◆目立つ意見なく終了

 江川氏は番組冒頭で、阪神大震災の発生後に被災地を取材したと語っていた。そこで見たのは、助けや救援物資を求める人より娯楽を欲する人だったのだろうか。

 少なくとも東日本大震災の発生直後は「娯楽番組が見たい」と呑気なことを言っていられない状況だったのは間違いない。

 江川氏の意見につられたのか、同局の西山喜久恵アナウンサーも「テレビは娯楽を提供する役目もある。そういう時(被災時)にこそ、この局は(娯楽番組を)やっているという棲(す)み分けをする勇気も必要」と述べたが、すかさず山村氏が「娯楽だけやるのはどうかと思う」と否定した。

 公共の役割を担うテレビは、娯楽より人命や被災者の生活に直結する情報を優先すべきだろう。テレビ局のアナウンサーが、災害時にも娯楽番組を流せと軽々しく述べる姿は疑問視せざるを得ない。

 阪神大震災20年の節目に合わせた番組だったが、災害時のテレビ報道について目立った意見と言えるのは、以前から言われていた「サイレントタイム」が必要だということと、災害報道一辺倒ではなく娯楽番組があってもいいという意見くらいだった。

 番組内で鋭い意見や、貴重で目新しい意見はなく、物足りない内容に終わった感は否めない。

(岩城喜之)