阪神大震災20年に非常事態条項で改憲を説くべきだった読売、産経
◆危機管理のお粗末さ
阪神大震災から20年が経った。各紙が特集を組んでいるが、それらを読むと当時、国の危機管理がいかにお粗末だったか、改めて思い知らされる。時の総理、村山富市氏は毎日16日付のインタビューで次のように語っている。
「あの日の朝、公邸で6時のNHKニュースを見た。トップニュースではなく、京都、彦根で震度5か6という内容だった。京都の友人に電話すると、『揺れはひどかったが、被害はなかった』というので、『それはよかった』という程度にしか受け止めていなかった」 何とも呑気(のんき)な風景である。総理は危機管理の最高責任者だ。それが大地震をテレビで初めて知って、おまけに関係省庁に問うこともなく、私的な友人に電話して被害がなさそうなので「それはよかった」で済ませている。普通の総理なら即座に情報収集を命じ、対応に当たったことだろう。
村山氏は普通ではない「社会党の総理」だった。社会党は長年、自衛隊を違憲として認めず、非常時の概念が皆無だった。不幸にも東日本大震災では「民主党の総理」で、福島第一原発事故をめぐる「吉田調書」を読めば、当時の菅直人総理が感情丸出しで、現場の事故対応をいかに混乱させたかが知れる。菅氏は国家観なき「市民政治家」だ。
◆公助を語らない各紙
各紙17日付社説を見ると、毎日「減災に地域社会の力を」、朝日「防災の日常化を進めよう」、産経「教訓生かし防災先進国に 自主、共助が復興早めた」と言うように「共助」が強調されている。
確かに共助は重要だ。阪神大震災の犠牲者の8割は家屋倒壊による圧死だが、町内会活動が活発な地域では住民が助け出し生存率も高かった。昨年の長野北部地震もそうで、1人の死者も出さず、「白馬の奇跡」と呼ばれた。共助は自助とともに減災の決め手だ。
では、公助はどうなのか。阪神大震災では「初動の遅れに弁解の余地はない」(村山氏)。官邸に対策本部が置かれたのは発生4時間後、自衛隊が本格的に現地入りしたのは40時間後、首相を本部長とする緊急対策本部が設置されたのは2日後という遅さだ。
この反省を踏まえ、内閣危機管理監が置かれ、迅速に緊急災害対策本部が設置されるようになった。自衛隊も自主的出動が可能となり、その後は速やかに投入されている。とは言っても、これで事足りているわけではない。
東日本大震災では自衛隊や警察、消防は平時の法体制下の活動を余儀なくされ、即時即応体制が取れずに被害を広げた。やはり公助も重要だ。ところが新聞は公助をあまり語らない。これは解せない。
例えば、非常時の在り方を憲法に明記すべきだという議論がある。非常事態条項の創設だ。せめて読売や産経は強調すべきだった。
読売は阪神大震災直後の世論調査で憲法に非常事態条項を設ける賛否を問うた。回答を見ると、賛成は90・2%に上り、反対は6・4%にすぎなかった(1995年4月6日付)。これを踏まえて読売は「憲法改正2004年試案」に同条項を盛り込んだ。
産経も13年4月に発表した「国民の憲法」要綱に非常事態条項を明記した。「(憲法は)いつ襲ってくるか分からない大規模な自然災害に無防備で、災害対策放棄」(田久保忠衛・起草委員長=同4月26日付)との認識からだ。とすれば、阪神大震災20年に当たって両紙はもっと非常事態条項の必要性つまり憲法改正を訴えるべきだった。
◆堂々と改憲を訴えよ
どの国も戦争や内乱、大規模な災害など非常事態に対応する規定を憲法に明記している。成文憲法のない英国では非常事態に際して政府は平時では違憲とされる措置をとっても許される、マーシャル・ルールがある。こうした条項が日本にはない。
首都直下地震で最大の課題とされる木造住宅密集(木密)地域の解消問題でも憲法が立ちはだかっている。読売13日付によると、杉並区は消火活動を妨げる狭い道路を広げるため私有地を強制的に整備する条例制定を目指している。ところが、条例は憲法が保障する財産権を侵害するのではとの懸念も根強いという。
権利一辺倒では大震災への備えもできない。保守紙は自信をもって改憲を訴えていくべきだ。
(増 記代司)