安倍政権圧勝のタイミングで群衆とナチス扱う「サンモニ」新春特集

◆戦後70年に当てつけ

 戦後70年の新年を迎えたところで、4日放送のTBS「サンデーモーニング」は「新春スペシャル“群衆”と戦後70年」という特集を組んでいた。ナレーションで「今、世界で起きている群衆の動きを通して戦後70年の日本と世界を考える」というから、日本をどう考えるのかに関心が向く。

 ところが、「群衆と戦後70年」といっても、「群衆」はウクライナから香港まで主に昨年世界で起きた暴動やデモ、紛争を扱い、「戦後70年」はヒトラーの内容だ。これで「戦後70年の日本」を考えるのには違和感がある。

 このところ日本で群衆が大きな事件を起こすことはなく、世界から見れば平穏だ。また、国内なら日本の終戦を起点に考えるのが普通であり、戦時の日本にヒトラーのような独裁者は存在せず、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)のように政党が政権をとったわけでもない。つまり、当てはまらないのである。

 にもかかわらず、戦後70年の日本を考えるのに世界の群衆の動きとナチス・ドイツを念入りに持ち出し、誰に対して警鐘を鳴らすのか?

 テレビは印象のメディアだ。「ヒトラーは……民主主義的手続きを踏んで国民的圧倒的支持を受けた。……笑顔で迫ってくるファシズムはどんな時代にも横たわっていると見るべき」(寺島実郎氏)というコメントや、ヒトラーの政権でドイツの失業者が減り国民総生産(GNP)が増えた図表、この経済効果で国民の人気を得たという解説を視聴すると、つい3週間前の歳末衆院選で「経済再生」を連呼して圧勝した安倍政権に重なる印象になる。

 衆院選前の同番組では、コメンテーターが反自民票を増やそうと焚きつけていた。今度は「戦後70年」を称し、衆院選直後の日本に民主主義から全体主義が登場したドイツを当てつけた格好だ。正月からテレビがこのような報道をすると、外国で日本のテレビ局がファシズムを警戒している――とマッチポンプが起きないか心配である。

◆不自然なオウムの例

 ただ、「群衆」をテーマに昨年の世界を振り返り、ナチス・ドイツに持っていった番組の流れは、フランスの社会学・心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841~1931)の著書「群集心理」を橋渡しにしてスムーズだった。

 同著から群衆の特徴を表すキーワードを引き、群衆は①感染する②過激に走りやすい③衝動的である④暗示にかかりやすい⑤時に高い徳性を示す――ここまでをアラブの春やフランス革命(①)、ロサンゼルス暴動や中国反日暴動(②)、ルーマニアのチャウシェスク政権打倒(③)、オウム真理教事件(④)、ガンジーのインド独立運動、昨年の香港の民主派デモ(⑤)を例に出し、⑥国民も群衆化する⑦群衆は反復・断言に弱い――でヒトラーとナチス・ドイツを扱った。

 疑問もある。特集冒頭で「群衆」とは広辞苑の「群がり集まった大勢の人」を意味すると説明したが、④でオウム真理教を「群がり集まった大勢の人」とするのは無理があろう。群衆が暗示にかかって信者が増える現象がオウムに起きたことはないし、孤立した施設内の信者を「群衆」とは呼ばない。また、サリン事件は「暗示にかかりやすい群衆」が起こしたのではなく、教団内でも極秘の確信犯だった。

 不自然だったが、番組では昨年世界で起きた群衆の動きに最も力を入れたのが「イスラム国(IS)」であり、イスラム教の過激主義とオウム事件をダブらせたかったのかもしれない。殺すことを公然と発表するISの聖戦(ジハード)の兵士になる各国の若者については「群衆」と捉えていた。インタビューに応じた先進国から参加した若者に宗教信念はなく、スタジオの識者はこちらを問題視していた。

◆ISにネットの魔性

 ISについて中央大学教授・目加田説子氏がインターネットなど「ツールの問題」を指摘していたが、ネットと昨今の群衆の動きは密接な関係があるだろう。

 番組指摘の「群集心理」はネット上で特に顕著だ。姜尚中氏は、「群衆は、我々の中に奥深く眠っている何かが一挙に放たれると誰も手が付けられなくなる」と述べていたが、それを個々人はネットで発信できる。ほとんどはハンドルネームなどの匿名発信で群衆化し、これが現実に影響するのも早い。

 誹謗(ひぼう)中傷、罵詈雑言(ばりぞうごん)、いじめなどネット上のトラブルから起きた犯罪は既にあるが、戦争にまでしたのがISだ。戦後70年、21世紀の今日に忍び寄るのもネット空間の、ある種の魔性からではないだろうか。

(窪田伸雄)