週刊朝日の「福島」対談は倉本聰氏の「愛郷心」の追求を見出しに取るべし
◆物語は無尽蔵の福島
「傷つける“怖さ”と向き合って 今こそ、福島を考える」と題し、脚本家倉本聰氏(79)とクリエーティブディレクター箭内(やない)道彦氏(50)が、週刊朝日12月5日号で、東日本大震災で福島の原発事故に遭遇した人たちのその後を思いやり、郷土愛や愛郷心とは何かを語り合っている。
倉本「最近、夜の森という立ち入り禁止の町に行ったんです。一軒ずつのぞいて歩くとベビー用品が残っている新居があって。おそらく若い夫婦が念願のマイホームを建て、子どもが生まれたんでしょう。設計のときにどんな話をし、どんな夢を託したのか。でも、その家に住めない。ローンも残っているんじゃないか。そう考えて、胸が詰まりました。別の家には、ご先祖様の遺影がずらっと飾られていた。彼らが生きていた時代に原発はあったのか、誘致に賛成したのか、反対だったのか――。物語は無尽蔵に出てくる。でも、それを表現するのが、とてつもなく怖いんです」
箭内「誰も傷つけない表現を成立させるのは、とても難しい。(後略)」……
倉本「愛郷心は、どこから湧き出てくるのか知りたいんです。(中略)匂いとか音とか、そういうものが愛郷心、故郷を思う気持ちとしてしみついているんじゃないか。例えば最近、集団的自衛権について学生と話していたら、『他国が攻めてきたら逃げる』と。日本を愛していないのかと聞くと『あんまり愛していない』、攻められたり家族がつかまったりしたら『許しを乞う』。愛国心という言葉は右翼的で嫌いだけど、郷土愛とか愛郷心とかはどこへ消えちゃったのか。大災害に遭った福島の人たちはどうなのか、とても気になるんです」
◆原発職員にも心遣い
両氏とも言葉を操るスペシャリストで、5ページにわたる対談はすんなり読み切れない。筆者なりに要約すると、原発立地に賛成、反対にかかわらずそれを受容し、一家を構え、家庭や地域での生活、環境圏を拡大しながら根を下ろしていった人たち。それは愛郷心を育み、形作る営みでもあろう。原発施設の存在は彼らにとって、生活圏の一部となっていた。それが、ある時、事故で故郷形成の中断を余儀なくされた。身内に反逆されたようなものだが、だからと言って郷土愛、愛郷心がなくなるわけではない。「福島。すでに汚染されているから」などと外部の者が知ったふりして言うのは、地元民の生き方そのものを否定することになりかねない。
その間、倉本氏は「僕は基本的に反原発です」と断りながら「でも東電に連れていかれれば、廃炉に向けて真剣に働く人たちを前に原発反対なんてとても言えない。(後略)」とそこで働く者にも気を遣う。
現代社会を支える技術や機械を含む巨大施設は、自然や街の中の異物としてとらえられることが多く、人々の目に触れないよう、街中から姿を隠して存在するようになった。工場や原発は都市から離れ遠い地域に建てられている。その技術的な恩恵を受ける量が多いものほど遠ざけられ、その技術の本質が人々から見えなくなってきた。そのため、そこで働く者は誇りが持てず萎縮してしまっている。
◆原発施設で働く住民
しかし原発施設で働く者の多くは地元民である。以前、原子力政策円卓会議で、石井澄夫福島大学名誉教授は原発の安全管理について「技術者が自己の学問的・技術的良心に基づき主張を通すことができるよう身分保障を与え、原子力技術を通して人類文化に貢献するという誇りと使命感をもって業務を遂行」できるような体制づくりを訴えた。
わが国は終戦から10年ほどたった昭和30年代、本格的な産業復興をめざし、エネルギー資源の確保のために、原子力による発電を採り入れた。40年代からは環境論の立場から炭酸ガス問題が出てきて、その排出量が少ない技術が見直されるなど、原発が次第に人々の生活の中に定着してきていたのは事実だ。安全確保に今後、いかに従業員一人ひとりが意を尽くすかが重要だろう。
原発施設を生活圏の内に抱えていない都会の人たちが、福島の人たちの今の心境について詮索するには注意が必要だ。福島の人たちを気遣う対談の内容から、そのタイトルは「今こそ、福島を考える 愛郷心、故郷とは」が適当だ。
(片上晴彦)










