参院選「1票の格差」違憲状態の最高裁判断に疑問呈さない各紙社説

◆米国は格差66倍容認

 「アベノミクス解散」と安倍晋三首相が自ら名づけた総選挙が今日、公示される。有権者の選択いかんで、日本の行く末が左右される。それだけに1票はずしりと重い。

 その1票をめぐって最高裁は2013年7月の参院選の議員定数配分について違憲状態との判断を示した。最大4・77倍の1票の格差があるからで、衆院もすでに「違憲状態」とされている。

 確かに憲法は「法の下の平等」をうたう。差別があってはならないから「1票の平等」はその通りだが、新聞に平等、平等と声高に叫ばれると、どうもすっきりしない。

 朝日社説(11月27日付)に至っては「国民の代表といえるか」と選挙が無効だと言わんばかりに書いた。しかし最高裁は選挙制度については「高度に政治的判断が求められる」とし、国会の裁量権を尊重して選挙を無効としていない。朝日の平等論はやはり胡散(うさん)臭い。

 そんな中、本紙社説(同)だけが「投票価値の平等」の厳格適用に疑問を呈していて、胸のつかえが下りた。

 先の米国の中間選挙では上院の「1票の格差」は66倍だったという。上院は全50州にそれぞれ2議席が割り当てられているが、カリフォルニア州の人口が約3833万人なのに対してワイオミング州は約58万人だったからだ(産経11月12日付、青木伸行記者)。

 これをもって米国民は不平等だとは決して叫ばない。米国はそれぞれの州(ステート=国)から成る連邦国家で、上院は対外的な役割を重視し(大統領条約締結権で優先)、下院は内政重視(予算先議権)といったように役割を分担している。下院は人口数で定員を定める。

◆ことさら平等を主張

 国連総会では1国1票だから、13億人の中国と約1万人のツバルとの「1票の格差」は実に13万倍に達する。その一方で安全保障に関わる問題では5大国(今では疑問だが)が安保理常任理事国として実権を独占する。それこそ朝日は「世界の代表といえるか」と叫んでみてはどうか。

 ドイツでは有権者数で判断しない。選出議員は実際に投票した有権者の代表とする考え方に基づき、州選挙区の投票数に応じて開票後に定数配分を行う。わが国では地方の投票率が高く、都市部の投票率はおしなべて低いから、「1票の格差」もそうした視点から論じ直す方法もある。だが、誰も言わない。

 新聞(とりわけ朝日などの左派系)がことさら平等を言うのは、平等を掲げる現行憲法を奉っているからだろう。この平等を真に受けて、日教組の教師が児童の通信簿に差をつけるのは不平等だとして「オール3」としたことがある。その結果は見るも無残で、がんばる子は頑張っても「3」だからやる気をなくし、成績の悪い子は勉強しなくても「3」だから、ますますやらなくなった。悪平等の極みだ。

 1票の格差問題は本紙が指摘したように二院制の在り方へと波及する。この点は「衆院と参院が役割や機能をどう分担するか。こうした本質的な議論も深めなければならない」(読売社説=同)、「二院制のもとで衆院と参院がどう役割分担するか、両者が議論することが不可欠だ」(朝日)と右も左も足並みをそろえる。

◆憲法に起因する問題

 だが、朝日は「参院ならではの価値を生み出せる選挙制度にする改革が不可欠」と、選挙制度で参院の在り方を変えられるかのように言う。これは解せない話だ。なぜなら衆参の在り方は「現行憲法に起因する根本問題」(本紙)だからだ。

 憲法を変えないで役割を変えるのは小手先の改革で、さらに踏み込めば、朝日が忌み嫌う解釈改憲になってしまう。毎日は「(参院を)『分権の府』と位置づけ、地方代表の性格を強めることも選択肢だと私たちは主張してきた」(27日社説)と言うが、それならば都道府県に定数をまず1人割り当てる「1人別枠方式」の見直しを求めた最高裁判断になぜ異議を唱えなかったのか。それも言わず、改憲も言わないで、どうして「分権の府」にできるのか。無責任な言説である。

 1票の格差問題も衆参の改革問題も、つまるところ憲法問題にほかならない。それを覆い隠そうとする護憲派の矛盾が露(あら)わになっている。

(増 記代司)