高倉健の追悼で解散総選挙を押しのける見事な大特集を組んだ文春

◆映画史として読める

 俳優・高倉健が亡くなった。週刊誌が追悼特集を組んでいる。

 日本男子の美学、不器用な男、優しき素顔、寡黙でストイック、男が痺れた、女が惚れた、名優たちとの熱き交友――、これらは週刊文春(12月4日号)から拾い出した見出しである。高倉健をイメージしてすぐに出てくるフレーズだ。昨年には映画俳優として初めて文化勲章を受章しており、昭和、平成の名優と言っていい。

 高倉健といえば、かつては東映ヤクザ映画の主人公を演じることが多かったが、昭和52年の「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」はそれまでのイメージを一新させた。それ以降の「野性の証明」(53年)、「動乱」(54年)、「駅STATION」(55年)、「刑事物語」「海峡」(56年)、「南極物語」「居酒屋兆治」(58年)、「四十七人の刺客」(平成6年)、「鉄道員(ぽっぽや)」(11年)などは、高倉健からヤクザ映画の印象を完全に払拭(ふっしょく)させた。

 「日本一、前科者を演じた」と本人が言うが、「高倉健が演じると、人生の落伍者ではなく『あんなふうに生きたい』という憧れの男になる」と、「映画評論家の佐藤忠男氏」が同誌に語るように、肯定的な、しかもそれが押し付けがましくない人物になる。

 同誌の「全205作品鑑賞ガイド」の「年代・ジャンル別リスト」を見ていると、時代の変遷と高倉健が演じていった人物像の変化が分かって面白い。5人の映画評論家らによる解説も日本映画史として読めるものとなっている。

◆新潮らしい“下品さ”

 それにしても、週刊文春の力の入れようは半端ではない。グラビアを含めて全45㌻を割く大特集だ。衆院が解散して、普通は総選挙がメーン特集になるところ、高倉健追悼の方がはるかに多くの紙面を占拠した。

 特集は「ジャーナリスト中村竜太郎+本誌取材班」による「最後の日々」から始まり、各界21人が秘話を公開した「健さんと私」には加藤登紀子、千葉真一、八代亜紀、内田裕也、武田鉄矢らが高倉健とのエピソードを紹介するなど、グラビアも含めて「完全保存版」と打ち出すだけの内容となっている。

 一方、「不器用ですから」というCMでの台詞が高倉健を表す一つのフレーズとなっていたが、それをもじって「実に器用なエピソード集」を載せたのが週刊新潮(12月4日号)だ。「実は彼ほど器用な人間はいなかった」という「巨星の真の姿」を特集している。

 詳細は同誌を手に取っていただければ分かるので、敢えてここでは紹介しないが、週刊誌、TVが「追悼」一色のところに、「実は…」とやるところが、いかにも週刊新潮らしく、「高倉健」でもそれをやるか、という“下品さ”こそ週刊誌の真骨頂だということを示していて、それはそれで週刊誌の在り方である。

◆小渕氏ら話題の群馬

 解散総選挙はこの時期、誌面からは外せない。高倉健に45㌻を割いた週刊文春もそれなりの記事を載せている。「“ダメノミクス解散”5人のバカ」で特に注目なのは「小渕優子」と「中曽根孫」である。いずれも群馬選挙区だ。

 4区の小渕前経産相は政治資金疑惑で「議員辞職、最低でも離党するはずだ」と思われていたが、そのまま党公認をもらって選挙戦に臨む。戦略は「とにかく目立たないこと」だという。野党対抗馬もいない選挙なら、黙っていても「小渕機関」が動いて、いつもの通り当選を果たすだろう。選挙区の“民度”が問われる。

 1区からの出馬をうかがっていた中曽根康弘元首相の孫・康隆氏は、結局、県連の反対を党本部が押し切って公認した「女子大生援助交際」の佐田玄一郎氏が立つため、出馬を断念した。

 だが、公認が確定する前から、群馬選出の山本一太参院議員が、出るとも分からない康隆氏に「断固反対」とブログで吠(ほ)えまくったことで“上州戦争”が勃発。自身が二世議員なのを棚に上げて、「群馬七議席中、二つを親(中曽根弘文参院議員)子で占めるのは前近代的」と批判した。この先の選挙に遺恨を残しそうだ。

 「京都毒殺妻」もあり、話題の多い週で誌面はにぎやかだ。

(岩崎 哲)