「私たちの道徳」の使用を強要したかのような印象与える「時論公論」

◆「国定」批判持ち出す

 文部科学相の諮問機関である中央教育審議会(中教審、安西祐一郎会長)は21日、小中学校の道徳を「特別の教科」と位置付ける内容を下村博文文科相に答申した。これにより、早ければ平成30年度から正式な教科としての道徳が始まる。義務教育の大転換と言えるだろう。

 NHKは22日の「時論公論」で、教育問題担当の西川龍一解説委員が「“特別の教科 道徳”の課題」として、答申が出されるまでの経緯や教科化までの課題を解説した。

 西川解説委員は答申のポイントを①道徳を「特別の教科道徳」と位置付けること②数値による評価はしないものの、子供たちの道徳性を総合的に把握し、評価を文章で記述すること③他の教科と同じように、国の検定を受けた教科書を導入すること、と説明。その上で、教科書検定をどのようにするのか、子供の内面の変化を教員がしっかり評価できるのかという課題を挙げた。

 こうした課題は、教科として導入される3年半後までに制度を整えていくべき問題だろう。

 一方、番組の中でいくつか首をかしげざるを得ない場面があった。まずは「特別の教科」とする意義についてだ。西川解説委員は「わざわざ(「特別の教科」という)別のカテゴリーを設けてまで、教科とすることの意味はどこにあるのか。運用面で改善は十分可能という疑問への答えはない」と指摘した。

 だが、以前から道徳の授業の形骸化や教員による授業格差は多くの人から指摘されていた。学習指導要領を改定してもこうした問題が依然として解決されないことから、運用面での改善ではなく、抜本的な改革として教科化が提言されたのだ。

 また西川解説委員は検定教科書を説明する中で、文科省が発行している道徳教材の「私たちの道徳」を取り上げ、「もともと『私たちの道徳』やその前身としてつくられた『心のノート』は、国定教科書と同じという批判があった」と強調。その上で、「文部科学省は今年、教科書でもない『私たちの道徳』を積極的に使うよう、3回にわたって全国の教育委員会などに求めている」と説明した。

 これは視聴者に間違った印象を与えかねない。文科省が出した3回の通知は、道徳の授業で「私たちの道徳」を使うよう強要したものではない。

◆通知は児童への配布

 通知は、「私たちの道徳」を家に持ち帰って家庭で活用できるよう、児童生徒一人一人に配布するよう求めたものだ。例えば、本紙が入手した5月15日付の通知には「本教材は、学校に備え置くのではなく、児童生徒が家庭に持ち帰って家庭や地域等でも活用できるよう、対象児童生徒一人一人に確実に配布してくださいますよう重ねてお願いします」と書かれている。わざわざこの部分に下線を引いて配布を強調しているのだ。

 2月14日付の最初の通知では「本冊子が対象児童生徒に確実に配布され、各学校の教育活動はもとより、家庭や地域においても有効に活用されることとなるよう、適切にお取り計らい願います」などとしている。

 3度目もほぼ同じ内容で、通知の中心部分は配布するよう求めたものだ。

 通知文の中に「各学校の教育活動はもとより、家庭や地域においても有効に活用され」とあることで、通知は道徳の授業での使用を求めたものだと言いたいのかもしれないが、実際には、各学校で作成する年間指導計画などで教材の使用を位置付けるため、文科省が特定の教材を使うよう強要することはない。

 「国定教科書と同じという批判がある」と付け加えた上で、「『私たちの道徳』を使うよう3回も求めている」と説明すると、文科省が国定教科書の使用を強要しているとの印象を視聴者に与えかねない。公共放送のNHKはこうした誤解を生むような報道に気をつけるべきだ。

 下村文科相は答申を受けた後に「道徳教育は、国や民族、時代を超えて、人が人として生きるために必要な規範意識や社会性、思いやりの心など、豊かな人間性を育むものであり、普遍的な意義を持つ万人に不可欠なものである」と道徳教育の意義を強調した。

◆教育論として報道を

 これまでの道徳教育に対する議論は「『教育論』ではなく、『政治論』で語られてきた」とよく言われる。

 新聞の中には答申を「価値観 国が強要も」としてレッテル張りする報道もある。

 メディアには、道徳教育をレッテル張りや間違った印象を与える報道ではなく、次世代を担う子供たちのための「教育論」として報道するよう求めたい。

(岩城喜之)