教職を超ブラックな仕事にした非常識保護者に警鐘鳴らす東洋経済
◆経済誌が異例の特集
今から40年以上も前、学校現場ではよく“デモシカ先生”という言葉が使われた。大学は出たものの、就職先が見つからず、「先生でもなるか」「先生しかなれない」というところからできた言葉である。それほど人気のない職業だった。事実、その頃の学校の先生の給料は高くはなかった。教師は民間企業に行けない落ちこぼれの学生の就職先というイメージだった。
ところが、いつの頃からか、教師に人気が集まり、採用試験も数十倍という高さで、簡単には就職できない職業になった。採用試験も難しく、かなりのエリートしか入れないといわれるようになった。その教師が今、超ブラックな仕事として敬遠され始めているのである。
そんな教師の世界に週刊東洋経済が焦点を当てて特集を組んでいる。その名も「学校が危ない」(9月20日号)。これまで経済誌が「教育」を取り上げる時は、ほとんど経済がらみだった。例えば、大学の就職ランキングや塾・予備校の統廃合など教育界を一つの「業界」として捉えた特集が主だった。ところが、今回の特集は教育界の現場、いわゆる教師の実態に目を向けた、という点で非常に興味深いものがあった。
特集のリードには、「教育に熱心な安倍政権だが、改革を現場で担う教師に目を向けることは少ない。学力テストや英語教育を含め日本の教育の今を追った」とある。特集は、①先生たちのSOS②変容する学力格差③教育改革の光と影――三つから成っている。これを見る限り、経済誌とは思えない特集の組み方、まるで教育雑誌と見まがうくらいである。しかし、特集を読んでみると、確かに教師の実態に迫っている。
◆止まらぬモンスター
「先生たちのSOS」では、教師を取り巻く環境を描く。
教師の仕事は多くなったというが、それは今も昔も変わらないだろう。その証拠にかつては一クラス60人というのがざらだったのだ。今はパソコンで学級通信を作っているが、以前はガリ版で一枚一枚刷っていたのだ。それでは何が変わったのか、といえば保護者の先生に対する“目”であろう。かつては、デモシカ先生でも保護者や地域の人々は先生を尊敬していた。ところが、最近は先生の権威は地に落ちてしまったと言って過言ではない。モンスターペアレントなるものの存在がそれをよく表している。
同号もモンスターペアレントについて取り上げる。「以前は(モンスターペアレントは)教育委員会、議員、マスコミに言うぞ、と脅すパターンが一般的だった。しかし最近は、モンスター度はどんどん上がっている」と指摘する。
その例として「1つは解決するまで子供を登校させないという『子供人質』タイプ、2つめは『土下座して謝罪しろ』『謝罪文をかけ』と要求、また包丁持参など物理的手段を背景にした脅しに訴えるタイプ、3つ目は『示談金をよこせ』『訴訟にするぞ』とカネに言及したり訴訟をちらつかせるタイプ、という新3点セットが登場している」とその異常ぶりを紹介する。モンスターペアレントについては、これまでにも至る所で話題になっているため、目新しいものではないが、そうした存在が浮き彫りになるところに日本の教育界の歪みや疲弊度が表れているというのだ。
教師は今、保護者の言動を気にかけ萎縮せざるを得ない状況になりつつある。「生徒は先生の言うことは聞かない」「親は教師に対し、『謝罪しろ』『訴訟にかけるぞ』」「しまいには生徒が教師に暴力を振るってくる」では、教師に対して「のびのびとした教育を施す」などという期待は初めから持つことはできないだろう。
◆教師側にも問題あり
もちろん、教師の方にも省みなければならない点はいくつかある。近年、不祥事を起こす教師が後を絶たない。また、よく言われることだが、「現場での教師の服装が汚い」「言葉が乱暴で品がない」「生徒に勉強しろと教師は言うが、その教師が本を読まずに勉強していない」といった教師を批判する調査結果もある。
いずれにしても教育は国家百年の大計を実現するものである。政府が理想とすべき教育政策を打ち上げても、それを現場で実践するのは教師。その教師に感化力、教育力がなければ大計があっても実はすべて地に落ちて腐らすことになる。そういう意味で教師の役割は極めて大きいものがある。東洋経済の今号の特集は、現代の日本の教育界が抱える問題点を浮き彫りにしたという点は意義があった。
(湯朝 肇)