池上彰さんに謝罪しても慰安婦虚報は謝罪しない朝日の「言論空間」

◆「北朝鮮」表記も32年

 朝日は慰安婦をめぐる「虚偽」を32年間、放置してきたが、もうひとつの32年間がある。北朝鮮の表記についてだ。戦後、新聞は「北朝鮮」と記していたが、1971年2月に朝日が北朝鮮系の在日組織の要請を受け「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」とし、その影響で他紙もそう書くようになった。

 それを産経は92年に「北朝鮮」に戻し、読売は99年から改めた。朝日は最後までこだわり続け、「北朝鮮」としたのは2002年12月28日付からだ。実に32年間、「共和国」と呼び続けてきた。どうやら朝日は改めるために32年の期間が必要らしい。

 当時、朝日は「おことわり」で変更の理由を、「北朝鮮の呼び方が定着し、記事簡略化も計れるからだ」とした。定着させたのは産経や読売なのに白々しくそう書いた。この態度は昔も今も変わらない。

 朝日は週刊誌広告の掲載拒否に続いて、ジャーナリストの池上彰氏の“言論封殺”を図ろうとした。連載の「新聞ななめ読み」で、池上氏が朝日の慰安婦報道検証記事を批判するコラムを書いたところ、掲載を拒否された(読売、毎日、産経3日付など)。

 池上氏は産経の取材に「これまで『朝日の批判でも何でも自由に書いていい』と言われていたが、掲載を拒否され、信頼関係が崩れたと感じた」と話し、朝日に連載中止を申し入れたという。

 「ななめ読み」は07年に夕刊で週1回掲載され、第1回に池上氏は朝日批判もOKなので引き受けたと記していた。本欄と同じテーマを扱ったコラムに何度かお目にかかった。10年からは多忙を理由に朝刊で月1回に変わった。むろん朝日批判もあった。

 言ってみれば「朝日批判もあり」が売りだった。それが今回の慰安婦問題に限って掲載拒否だ。よほど社内に慰安婦報道の批判は許さないとする空気があるのだろう。が、さすがにこれには社内で批判が出たようだ。

◆掲載拒否を各紙注目

 朝日のホームページ上の現役記者ツイッターには「報道どおりだとすれば、心が砕ける」(デジタル編集部の男性記者)「はらわたが煮え繰りかえる思い」(社会部の男性記者)「『善意の批判』までも封じては言論空間が成り立たない」(特別編集委員)といった記述もあった(読売4日付)。

 そんなことがあってか、朝日は池上氏のコラムを一転して4日付に掲載した。池上氏は「訂正、遅きに失したのでは」と題し、「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と記している。他紙の朝日批判と比べて目新しい記述はない。常識的な忠告だ。

 毎日4日付には週刊新潮が朝日4日付に掲載予定の9月11日号の広告について、朝日から一部を黒塗りにするとの連絡を受けたと報じたが、当日付の広告には黒塗りもなく、そのまま掲載された。6日付には「池上彰さんの連載掲載見合わせ 読者の皆様におわびし、説明します」との市川速水・東京本社報道局長名のおわび記事が載った。

 どうやら朝日に変化が起き始めたようだ。が、これで謙虚になったと考えるのは早計だろう。おわびしたのは池上氏の掲載拒否についてだけで、肝心の池上氏が指摘した慰安婦虚報に対する謝罪は一言もない。

◆朝日批判に責任転嫁

 また、おわびは「(慰安婦特集の掲載以来)関係者への人権侵害や脅迫的行為、営業妨害的行為などが続き、こうした動きの激化を懸念するあまり、池上さんの原稿にも過剰に反応してしまった」と弁解している。朝日批判がまるで暴力行為のような言い草だ。

 人権侵害や脅迫的行為、営業妨害的行為があるなら、警察に届け出て、それを記事にすればよいではないか。掲載拒否の本当の理由はそうではあるまい。記者ツイッターにあるように社内の「言論空間」だ。そのことに触れず、批判を理由にするのは責任転嫁と言うほかない。

 それに掲載拒否と言わずに「見合わせ」としている。だが、おわびには「池上さんに『このままでの掲載は難しい』と伝え、修正の余地があるかどうか打診」したとある。掲載は難しいとしたのだから掲載拒否にほかならない。

 おまけに書き換えを迫り、筆を曲げさせようとした。これを白々しく見合わせと言う。これでは謝罪はほど遠い。

(増 記代司)