「タイ代理出産事件」で日本人男性と国内周辺取材がない文春、新潮
◆足元で突っ込み不足
世間を騒がせている「タイ代理出産」事件。24歳の日本人男性が、自身の精子と卵子バンクから入手した卵子で既に十数人の子供を出産させている。その目的は何かに関心が集まる。
週刊新潮(8月28日号)を見ると、男性の代理人の弁護士は、「資産家の男性は、財産を管理し、事業を継承させるために、子どもをたくさんほしがった」と説明した。事件の異様さに比べて、ずいぶんと簡単な説明だ。
「将来的には100人から1000人をもうける計画だ」とも語ったと言う。常人の発想ではない。さらに「多くの子どもが必要なのは、将来、日本の選挙に出て、勝利するため」とも言っている。24歳にもなれば、日本の選挙の仕組みぐらい分かりそうなものだ。その程度の票で当選できるところはほとんどない。もっとも、冗談か、はぐらかしで言ったことだろう。
通常、こういう場合は、犯罪と関連しているのではないかという疑問が湧く。週刊文春(8月28日号)は、タイの「警察は人身売買、臓器売買などの疑いがあるとみて捜査を進めて」いると伝える。
男性は既にタイからマカオへ出国し、香港経由で日本に戻っているといい、「タイの弁護士を通じて、警察にDNAと書面を提出した」(新潮)状況で、タイ警察の事情聴取には応えていない。だから、人身・臓器売買との関連は不明だ。
週刊誌はタイやカンボジア現地を訪ね、代理母の取材まで行って、男性の目的を探ろうとしているが、一番手っ取り早いのは本人を捕まえて語ってもらうことだ。帰国しているのであれば、国内で彼を捜せばいいことだが、まだ一誌として、男性を取材したところはない。
男性はIT企業「光通信」のCEO(最高経営責任者)の息子の重田光時氏であり、関連会社の株を持ち、億単位の資産があるという。「高校、大学を香港で出た」という記事があるが、文春は「実際は、埼玉にある立教大学の付属高校を卒業して」おり、立教大学に進んでいると伝える。
ならば、両親や同級生、会社関係者と取材先は山ほどあるが、どうも各誌の突っ込みが足りない。タイやカンボジアに足を運び、光時氏のやることに「理解を示している」節のある両親から話を聞くこともできていない。新潮、文春とも、読者にとっては、謎が解かれず、ストレスの溜(た)まる記事となっている。
◆愛と生命倫理を説け
文春が、「代理出産した子どもは法律上は代理母の子どもとなります。依頼主との契約によって、出産後に代理母が養子に出すという形を取ります」と「東京医科大学産婦人科の久慈直昭教授」の説明を載せているが、これは必要な情報だ。
現在、バンコクで見つかった子供たちが既に養子となっているのかどうかも明らかにしてあれば、なおよかった。さらに、光時氏が帰国した後、警察等に保護されている十数人の子供たちの養育がこれまで通り進められるのか、気になるところだが、これも、書かれていない。
しかし、これらの記事で決定的に欠けているのは、生命の出発点が「両親の愛」であるという点である。卵子提供を受けて、自身の精子によって受精させ、代理出産された子供の生命の出発に「両親の愛」はあるのか。今回のケースでは、それが見当たらない。それがこの事件の異様さを際立たせている。
代理出産した女性たちへの取材では、光時氏が極めて冷淡で、彼女たちに慰労の言葉もかけなかったことを伝えている。これに対し文春は、「女性を『産む機械』のように扱う光時氏は、生命倫理を冒涜(ぼうとく)しているとしか思えない。十六人どころか、たった一人の子の親になる資格もないのではないか」と、感情を露(あら)わにして記事を結んでいる。
ならばこそだ。「男女が愛しあい、望まれて誕生する」のが「愛の結実」たる子供なのではないか、という点を強調してほしかった。この点に言及した記事がひとつもなかったのは残念である。
◆脚色をし過ぎた新潮
新潮は、今回の事件をかつてナチスドイツが行った「生命の泉」計画と関連付けて報じているが、国家が行った計画と同じようなことを個人ができるとは思われない。ことさらな脚色は事件の本質を霞ませる。
それよりも、早急に光時氏から「真相」を聞くべきである。
(岩崎 哲)