DNA型鑑定で父子関係取り消さない最高裁判断に各紙乱暴な批判
◆法律婚重視した産経
DNA型鑑定で血縁がないことが分かっても、それだけでは一度決まった法律上の父子関係を取り消すことはできない。そんな初判断を最高裁が示した(各紙18日付)。
訴訟の当事者は北海道の元夫婦と近畿の別居中の夫婦だ。婚姻中の妻が不倫相手との子を出産し、その後に離婚してその不倫相手と再婚。子はDNA型鑑定で「99・99%」とされた血縁上の父と暮らしており、妻が元夫に父子関係の取り消しを求めた。
これも婚外子と同様、不倫に端を発する親子問題だ。民法は妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する「嫡出推定」で扶養義務のある父親を法的に明確にし、子を保護してきた。今回も出産時に婚姻中だった元夫が法律上の父親となっている。
これに対して最高裁は「科学的根拠で血縁関係が明らかになく、すでに別居していても、それでも子の身分の法的安定を保つことが必要」として、あくまでも子の安定した身分保障を優先した。妥当な判断だろう。
これまで最高裁は嫡出推定が及ばなくなる要件として、夫の海外赴任や服役中など「妻が妊娠時に夫と完全に別居しているなど夫婦の実態がない場合」を挙げ、「家庭が崩壊しているだけなら、嫡出推定は適用される」(2000年)としてきた。
もとより個別事情はあるだろう。だが、今回のようなケースで親子関係が容易に変更できれば、法律婚そのものが揺らぐ。不倫の子を出産した妻が子の戸籍を夫から外すためにDNA型鑑定を利用するケースすらあるとされる。
産経は「法律婚重視の判断妥当だ」(18日付主張)とし、「血縁関係のみを優先して親子関係を規定するなら、それは鳥獣も同然だ」と血縁絶対主義を批判、本紙社説(22日付)も家庭が社会の最小単位で、その在り方は「公の秩序」に関わるとして嫡出推定を維持した判決を支持した。
◆「家族」にリベラル色
他紙にはこうした価値観が希薄だ。「『家族』変化 法とズレ」(読売)「血縁よりも民法優先」(毎日)「明治時代に制定され、『家』制度を中心とした民法を『時代遅れ』と指摘する声は高まっている」(朝日)と判決を批判した。
社説でも「現代の家族に添う法を」(朝日)「時代に合った法整備を」(毎日)と、民法が時代遅れと断ずる。読売は「民法の枠組みを重視した最高裁」とするが、本文では「嫡出推定の規定は、明治時代に設けられ、DNA鑑定を想定しない。鑑定技術の進歩に法制度が追いつかず、社会の実情に合わなくなっている」とした(いずれも18日付)。
いささか乱暴な論議である。確かに民法が制定された明治期にはDNA型鑑定はなかったが、それだけで嫡出推定としたわけでなく、血縁以上に「家」を重視したからだ。戦後は家制度に代わって愛情や情緒的つながりを尊重する家族観を背景に嫡出推定に疑問がもたれることはなかった。海外もそうで、私的なDNA型鑑定を禁止する国は多い。
それにもかかわらず、メディアは家族となると、途端にリベラル色を出す。昨秋の婚外子相続裁判でもしばしば「家族の多様化」と言った。だが、子供の大半(約98%)は法律婚に基づく嫡出子で、婚外子は例外だ。それを「多様化」と言いくるめた。
今回も「家族の変化」「社会の実情」といった紋切り型の表現をするが、いったいどういう変化や実情を指すのか、明確に示さない。訴訟当事者のような不倫によって生起した子の身分問題が日本社会全体を覆っているわけでは決してない。産経によれば、親子関係の調停申し立て件数は昨年1年間で1288件だったという。毎年、百数万人が生まれる子供の数から見れば、極少と言ってよい。
◆「公の秩序」崩す恐れ
この極少をもって「公の秩序」を根底から崩すのは、どう考えても理不尽である。民法は子の身分を守るために再婚禁止期間や離婚後300日内に生まれた子の父は前夫とする規定も設けているが、一部新聞はこれにも反対する。
そんな論調を容認すれば、それこそ「鳥獣社会」に陥る。大人の性にまつわる不都合が子に不利益をもたらしているのが社会の実情だ。それを言わずにあたかも民法に非があるかのように書きたてる。巧妙な偏向報道と言うほかない。
(増 記代司)