日経と読売が処罰の公平性重視し裁判員判決破棄した最高裁を支持
「厳罰化」傾向に判断
幼児を虐待死させた事件の裁判員裁判が下した、検察側の求刑の1・5倍に当たる判決の是非が争われた大阪1歳児虐待死事件(2010年1月)の上告審判決。最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)はこの24日に「裁判員裁判の量刑判断は尊重されるべきだが、他の裁判の結果との公平性が保たれた適正なものでなければならない。過去の量刑傾向を共通認識として評議を深めることが求められる」との初判断を示した。
その上で傷害致死罪に問われた両親をともに懲役15年(求刑・懲役10年)とした12年3月の1審(大阪地裁)判決を「はなはだしく不当」、13年4月の2審(大阪高裁)判決を「合理的な理由がない」として破棄し、父親に懲役10年、母親に懲役8年を言い渡した。裁判官5人全員一致の判断。裁判員裁判の量刑が、最高裁で変更されたのは初めてのことである。
09年に裁判員裁判制度が導入されてから5年。求刑を上回る判決が出るケースは増加している。最高裁によると、今年3月末までに殺人や傷害致死など主要8罪で、求刑を上回る判決を受けた被告は43人。これは全体の1・0%に当たる。これに対して、制度導入前の約1年間の裁判官だけの裁判で求刑以上の判決を受けたのは2人。全体の0・1%だから、約10倍になる。
裁判員裁判の求刑を上回る判決では、高裁で減刑されたケースもこれまで5件あり、最高裁は減刑を是認したり、1審判決を高裁、最高裁が支持したこともある。また求刑の範囲内の判決でも、裁判員裁判では一般に「厳罰化」の傾向が指摘されている一方で、更生を重視した執行猶予判決も増えている。最高裁はこうした量刑に幅が出ていることを一定程度まで是認してきたのがこれまでの流れである。
産経の危惧に違和感
今回の最高裁判断に社論を示したのは日経(29日社説)、読売(28日社説)、産経(26日主張)の3紙である(29日現在)。日経と読売は量刑の公平性を重視した最高裁の判断を支持し、産経は裁判員制度本来の趣旨を揺るがすことへの危惧を提起した。
日経は「『過去の量刑の傾向に従うことまでは求められないが、公平性は必要』というのが結論」だとし「最高裁の判断は妥当といっていいのではないか」と明確な支持を示した。その上で「裁判官が過去の量刑の意義や内容を裁判員に十分理解してもらったうえで、市民と法律のプロが協力してより良い判決を目指す。求められているのは、この裁判員制度の原点に立ちかえるということだ」と裁判官に一層の努力を求めて制度の深化と成熟を求めている。
読売も「最高裁が最終審としてのチェック機能を果たす立場から、量刑の公平性を重視したのは理解できる」と支持。その上で「裁判員制度の趣旨は、法律の専門家だけが担ってきた刑事裁判に、国民の視点や社会常識を反映させることにある」と説き「重要なのは、刑の公平性を維持しつつ、市民感覚を判決に生かしていくこと」と注文した。そのために特に専門の「裁判官には、直感や情に偏った判断を排すことの大切さを裁判員に丁寧に説明し、適切な結論を探る努力」を求めたのも妥当である。
一方、産経は最高裁が「量刑傾向を考慮することの重要性」を念押ししたことに対して「先例重視の傾向が行き過ぎれば、『国民の視点』を尊重するという裁判員制度本来の趣旨を揺るがすことにならないか」と問い「裁判員との評議に加わる、1審裁判官の過剰反応」や「裁判員の自由な意見表明を阻害しかねない」ことの危惧に言及した。
また、これまで「求刑超え」判決が49被告に言い渡されたことは「それだけ国民が従来司法の量刑判断に不満を持っていた」ことの証だとして「国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させるという、本来の目的を忘れてはならない」と主張した。「司法に市民感覚を」という制度の趣旨に基づく主張は、読売なども注文をつけている。しかし、産経はこれをメーンに突きつけ、その分、量刑判断に求められる公平性についての言及がないのには少し違和感が拭えない。
適切を要す市民感覚
社説ではないが、毎日(25日)と小紙(同)はそれぞれ「処罰の公平性を重視」、「市民感覚制限ではない」の解説記事を掲載した。毎日の「市民感覚の適切な反映には、裁判員の自由な意見表明が不可欠だ。過去の傾向を丁寧に踏まえつつ、市民感覚を引き出すプロの裁判官の手腕が求められている」という結びに同感する。
(堀本和博)