朝日“福島原発作業員違反逃亡”報道は虚報とポスト・門田氏が反論
◆吉田氏取材した作家
「福島原発で9割の作業員が所長命令に違反して逃げた」――。突然、海外メディアが報じ始めた。出どころは朝日新聞(5月20日付)の記事だった。「日本にもセウォル号があった」などと韓国紙はおかしな“喜び方”をしたほどである。
朝日新聞の「スクープ」は政府の事故調査・検証委員会が吉田昌郎福島第一原発所長から28時間にわたって行った聞き取りをまとめた「調書」を分析して報じたものだ。
吉田所長と言えば、怒鳴り散らすだけで現場を混乱させるだけだった菅直人首相(当時)の「海水注入中止」指示を無視して、現場判断で海水で原子炉を冷やし続け、被害の拡大を抑え、その後も原子炉建屋の爆発等への対処を命懸けで行った人物である。昨年7月、食道がんのため58歳で亡くなった。
それまで海外メディアからは「フクシマ・フィフティー」(福島の50人)と呼ばれ、原発に残って最悪の事態を食い止めた吉田所長以下、50人の作業員(実際は69人)は「英雄」と褒め称(たた)えられていた。彼らの働きがなければ、被害は「チェルノブイリ事故の10倍になっていた」とまで言われている。
それが、朝日の記事によって、9割の作業員は“命令に反して逃げ出した卑怯者”となり、しかもその根拠が吉田氏の証言だということにされてしまったのだ。
これに対して、猛然と反発しているのがノンフィクション作家の門田隆将氏だ。「週刊ポスト」(6月20日号)で「朝日新聞『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」の記事で反論している。
門田氏は朝日の記事を「誤報」だと言いきる。同氏は「ジャーナリストとして唯一、直接、長時間にわたって(吉田所長を)インタビュー」した。「死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」の著書もある。
◆混乱の状況下の伝言
朝日の記事によれば、「所員の9割」が「所長の命令に違反して、現場から福島第二(2F)に逃げた」とある。吉田所長が事故調にそう語っているのであれば、これは言い逃れようもない。
しかし、門田氏によれば、生前、吉田所長は調書の第三者への公表を固く拒んでいた、という。それは「時間の経過による記憶の薄れ、様々な事象に立て続けに対処せざるを得なかったことによる記憶の混同等によって、事実を誤認して話している部分もある」(吉田氏)からで、「『事実と違うこと』が定着することへの危惧があったから」と門田氏は指摘する。
所員や協力企業の作業員が2Fに“逃げた”事情について、門田氏は「免震重要棟」に当時700人ちかくがおり、食事や排泄物の処理など、状況が悲惨化していく中で、直接作業に関わらない“非戦闘員”を「一刻も早く退避させる」ため、2Fへの退避を含めて話し合いが行われていたと説明する。
吉田所長は調書の中で、「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」と言っているが、続けて「ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです」と語っている。
調書を普通に読んでいけば、「線量の低いようなところに1回退避して次の指示を待て」という話の流れの中で、2Fに行ってしまったと受け取るのが自然だろう。だから、門田氏は「彼らが福島第二に向かった判断を吉田氏は、むしろ“自慢”しているのである」と擁護している。
◆日本貶める朝日手法
門田氏は今回の朝日の報道を、かつて同紙が行って結果的に日本を貶(おとし)める材料となった「従軍慰安婦の強制連行」「女子挺身隊」報道を「思い起こす手法だ」とし、「今回、同じように事実を捻(ね)じ曲げられ、命令に『違反』して『逃げた』とされた福島第一原発の人々に深く同情するのである」としている。
朝日新聞は門田氏に、「名誉棄損で、法的措置を検討する」との抗議書を送ったという。これに対し門田氏はブログで、「『言論』によって指摘した私の記事に対して、言論機関である朝日新聞が『言論』で闘うのではなく、『法的措置』云々の文書を送りつけてきたことに私は、唖然としている」と応じている。
両者の“攻防”が続くのかどうかは不明だが、故人の名誉や作業に当たった人々の尊厳が傷つけられることだけは避けるべきだ。そして言論は正しく「フクシマ」を記録する義務がある。(岩崎 哲)