ベトナムの「赤ひげ」に密着し日越の絆を証した「未来世紀ジパング」

◆無償で12年医療活動

 チャイナリスク回避のために日本企業が東南アジアに続々と進出するようになってから久しい。当初はリスクを分散させる「チャイナ・プラスワン」と言われたが、いまでは中国から引き揚げて、タイやベトナムなどに工場を移したり、メーン市場にしている企業も多くなっている。

 その中でも成長著しいベトナムには、いま1500社以上の日本企業が進出しているという。

 そのベトナムで、無償の医療活動を12年も続けている人がいる。眼科医の服部匡志(ただし)医師だ。

 服部医師は、月の半分をベトナムで過ごして医療活動を行い、もう半月は日本を飛び回るフリーの眼科医をしている。日本で得た報酬をもとに、ベトナムで無償の医療活動をしているというわけだ。

 その服部医師のベトナムでの医療活動に密着した様子が、テレビ東京の「未来世紀ジパング」で5月26日に放送された。普段の同番組はテレビ東京らしく、経済の視点からの作りが多いが、この日の放送は「世界に貢献する医師たちを通して日本医療の“信頼力”を問う」として、途上国で活動する医師にスポットを当てた。

 番組では、服部医師を「ベトナムの『赤ひげ』」「『神の手』を持つ眼科医」とし、これまでベトナムで約1万3000人の治療をしてきたことを紹介。2日間で125人を治療するなど寝る間を惜しんで活動する姿や、成功率が低い網膜剥離の子供も進んで手術する姿を映していた。

◆取材中にもトラブル

 途上国での医療活動は最新設備が整った日本のそれと違い、常に困難が付きまとう。さらには民族性の違いなど異国での苦労もある。

 密着取材では、手術に向かう途中、医療器具を積んだトラックの運転手が「個人的に会いたい人がいる」と言いだして手術先とは違う場所に行こうとするなど、日本では考えられないような状況もあった。

 ベトナムで長く活動している服部医師は慣れたもので、しっかりと対処して事なきを得たが、こういうトラブルは日常茶飯事だろう。

 そのような状況に自ら飛び込んでいく人はなかなかいない。日本の病院で働いていれば、多くの収入を得ていたにもかかわらず、服部医師はそれを捨ててベトナムの地で無償の医療活動を続けている。

 番組では「なぜ服部医師はベトナムで無償の活動を始めたのだろうか」と疑問を投げかけ、ベトナムに行くことになった経緯を紹介した。

 ただ、動機について、学会で知り合ったベトナム人医師から失明している人を助けてほしいと言われ、ベトナムで活動するようになったという簡単な紹介に終わったのは物足りなかった。

 恵まれた生活を捨ててまで、わざわざ困難な状況に入っていこうとする時、人間は相当の覚悟と信念を持って行動を起こすものだからだ。

◆関心が向いた動機面

 服部医師は、小紙のインタビュー(昨年4月8日付「持論時論」)に生き方について詳しく述べている。それによると、服部医師が高校生の時、がんで父が死の床に伏した。その父に対して、ある医師が心無い言葉を吐いたのを見て、「こんな医師がはびこっていては世の中はよくならない」と思い、医者になることを決意したという。

 また、父からは勉強しろと言われたことは一度もないものの、いつも「人の役に立つ生き方をしろ」と言われていた。遺書にも「努力しろ。人のために生きろ」という言葉がしたためられていた。

 日本で開業すれば、立派な家に住んで高級車を乗り回せたかもしれない。しかしそうした道を行かず、困難が伴う道を選んだのは「心が燃える仕事」「人の役に立つ仕事」がしたいからだという。父の教えが服部医師の人生に大きな影響を与えているに違いない。

 番組では服部医師の生き方の土台となっている父の教え、そしてその通りに人生を歩んできたことを深く掘り下げてほしかった。それがベトナムで長年、無償の医療活動を行っている動機につながっているからだ。

 現地の新聞やテレビに大きく取り上げられている服部医師は、ベトナム人からの知名度も高く、尊敬を集めている。

 ベトナムは、領有権問題で反中感情が高まっているが親日的だ。ベトナムにとって日本が最大の援助国というのもあるが、服部医師のような人たちが世界で親日家を増やしていること、そしてその陰には親の教育や信念が息づいていることを忘れてはならない。

(岩城喜之)