集団的自衛権行使の憲法解釈見直しに「改憲で」との朝日と毎日の罠
◆現実味もった改憲論
日本国憲法が施行67周年を迎えたこの3日に、各紙は恒例の憲法記念日社説を掲載した。例年、憲法論議は改憲、護憲それぞれの立場から憲法改正や平和憲法の意義などを大局的な総論として論じるばかりで、そこから議論が継続して深まっていくような期待は持たなかったように思う。
それが今年は少し違った。論考の焦点が中国の脅威など東アジアの環境変化の現実を踏まえた中で、集団的自衛権についての憲法解釈見直しの是非に絞られたことが一つ。もう一つは、憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案の成立が確実となり、憲法改正の環境が整ってきて、憲法改正議論が現実味を持ってきたこと。「集団的自衛権の行使容認は安全保障政策だけでなく、現行憲法のあり方そのものの転機にな」(日経社説)り、憲法論議も、今年は継続して展開されていきそうだからである。それも自民党が憲法記念日に「『改憲か護憲か』という議論でなく、どのように改正するのかという段階に入った」と声明を出したように、新たな段階を迎えたと言っていい。
集団的自衛権の行使容認の是非をめぐる各紙の論考は、改めて記すまでもなく、これを是とする読売、産経、日経、小紙と、非とする朝日、毎日などに二分された。
◆急務とする読売など
読売などが是とする大きな理由は、憲法施行から67周年の間に、日本を巡る状況が様変わりしたことへの対応が急務だから。米国の力の相対的低下と中国の軍備強化や北朝鮮の核など「これほど日本を取り巻く安全保障環境が悪化しているときはない」(産経主張)という危機感だ。国家を構成する主権と国土と国民とその財産を守るため、防衛力を整えて米国との同盟関係を強化することは喫緊の課題である。
そこで、焦点となるのが集団的自衛権。もとより国連憲章に明記された、全ての国に認められた権利で、自国と密接な関係国が攻撃を受けた際に、自国が攻撃されていなくても実力で反撃する権利のことだ。
これが日本では「国際法上、保有するが、憲法上、行使できない」(内閣法制局)とする国際的には通用しない摩訶(まか)不思議な解釈に縛られてきた。これを全うな憲法解釈に見直して米国との相互信頼を高め、強固な日米同盟にして日本の安全保障を高めようというわけである。
安倍晋三首相のこうした集団的自衛権の憲法解釈見直しの取り組みに、読売は「憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的判断だ」、産経も「行使容認は、日米同盟の抑止機能を向上させ、日本とアジア太平洋地域の平和と繁栄を確かなものにする方向に導く」と評価。日経は「『解釈改憲』でしのぐとすれば、国論を二分する憲法改正は急ぐまでもないといった意見が強まってくる事態も予想される」ジレンマがあると指摘し「(解釈変更で)日本の安全保障にとって何が抑止力になり、プラスなのかを幅広く考えていくべきときだ」と説いた。
◆行使容認妨害が狙い
集団的自衛権の憲法解釈見直しに対して朝日と毎日社説は、反対の論調を展開した。両紙の論調に欠落しているのは、一段と厳しくなった東アジアの安全保障環境の現実に対する認識である。朝日は一応、中国の軍備増強などに言及して「いまの議論が、日本の安全を確実にしたいという思いからきていることはわかる」と理解のポーズを示すが、それへの対応が急務との認識はない。だから、集団的自衛権の行使を認めたいのなら「そのための憲法改正案を示し、衆参両院の3分の2の賛成と国民投票での過半数の承認を得ることだ」とけしかける。何としても憲法解釈見直しを潰したい魂胆がミエミエだ。
毎日は、日本を取り巻く安全保障環境問題については無視したのか言及すらない。ただ能天気に「日本の平和と安全は、二つの柱で支えられてきた」と説くばかり。二つの柱は憲法9条と日米安保条約のことだが、「9条の基本理念を超える集団的自衛権の行使は、政府解釈の変更でできる話ではない」と主張。行使が必要なら「正々堂々と憲法改正を提起してはどうか」とコチラも改憲のススメ。
こうした解釈変更でなく「憲法改正」による容認が筋だと主張する向きに、産経は「その真意は憲法改正にはより時間がかかることを見越して、行使容認を妨げ、あるいは先送りしようという手段」だと喝破。小紙社説も「『改憲』論が、容認に反対するための方便であってはならない」と説いている。
(堀本和博)