少年法改正を批判する朝、毎、東こそ家族崩壊に手を貸し更生に逆行

◆厳罰化でなく適正化

 改正少年法が国会で成立し、少年による重大犯罪への刑罰が引き上げられた。これまで刑罰が軽すぎ、少年が犯した罪に向き合うことができにくいと指摘されてきたからだ。

 少年法は過去にも改正され、刑事処分の可能年齢を「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げ、16歳以上による故意の死亡事件は検察官への逆送が原則とされた。が、凶悪犯罪の刑罰は手付かずだった。

 それで被害者遺族から「少年にも犯罪に応じた刑の選択肢を広げてほしい」との声が出されていた。大阪府河内長野市で2009年、17歳少年が高校生をバットで殴殺した事件で、大阪地裁堺支部は少年法が定める上限の「懲役5年以上10年以下」の不定期刑を言い渡したが、裁判長は異例にもこれを不十分とし、「(少年法の)適切な改正が望まれる」と付言していた。

 だから、少年による重大犯罪の刑罰を引き上げたのは、「適正化」と呼ぶべきだ。河内長野の被害少年の母親は「これで裁判所が罪に見合った刑を決められるようになる」と述べている。だが、不思議なことにどの新聞も「厳罰化」としか書かない。

 実際はどうか。犯罪白書(11年版)によると、少年院にいた少年の再犯率はきわめて高く、25歳までに実に4割が再犯していた。11年に東京都渋谷区のライブハウスで放火未遂事件を起こした23歳男性は、17歳のとき東大阪市で幼稚園児をハンマーで殴り殺そうとし、少年院に2年間入所したが、更生できず、渋谷事件では「大量殺人したかった」と供述している。こうした例を見れば、今回の改正が適正化なのは明白だろう。

◆罰は立派な更生の道

 ところが、朝日は「更生の視点をつらぬけ」(11日付社説)とし、東京は「更生の理念忘れぬよう」(同15日付)毎日は「『更生が原点」』を大切に」(同18日付)と、「更生」ばかりを強調し「厳罰化」批判を繰り広げる。おまけに被害者のヒの字も言わない。

 古来、「目には目を、歯には歯を」(ハンムラビ法典)と、奪ったのと同等のもので償うのを原則とし、情状酌量の余地がある場合にのみ、罰を減じた。死刑適用の永山基準では犯行の動機や様態のほか、「遺族の被害感情」「社会的影響」など9項目を示しており、他の刑罰判断でも基準とされている。それを少年凶悪犯罪に限って、被害感情をなぜ無視するのか、理解しがたい(改正少年法も18歳未満の死刑は禁止している)。

 3紙は更生を口で言うが、いったいどう更生させるのか、具体論は皆無だ。罪に見合った罰を受けるというのも、立派な更生の道だ。出所のとき「君は罪を償ったのだから、未来を見つめ、堂々と生きよ」と諭すこともできる。罪が軽すぎれば、加害少年は更生の実感を持てないのだ。

◆更生のカギは「家族」

 それに心底から更生を願うなら、家族の在りように言及してしかるべきだ。加害少年は「家庭環境に恵まれなかったり、自身が虐待の被害者であるなど、ハンディを抱えたケースが多い」(東京)のは現実だ。とすれば、どうして家族再生を言わないのか。

 家庭裁判所調査官らによる『重大少年事件の実証的研究』(01年、司法協会)によれば、加害少年の両親の「夫婦間の葛藤」(仲が悪い)や愛情不足が子供たちを蝕み、凶悪犯罪に至らせたという。逆に少年院にいる間に親族が2回以上、面会に来た少年の場合は再犯率が大幅に下がっている(前掲、犯罪白書)。

 法務省が行った少年鑑別所の入所者や30歳未満の刑務所受刑者に対する意識調査では、「悪いことを思いとどまらせる心のブレーキは何か」との質問に、「家族」との回答が68%にのぼった。

 こうした調査で明らかなように更生のカギは「家族」だ。にもかかわらず、3紙は「個人の尊重」ばかりを言い立て、家族保護条項を盛り込もうとする改憲試案(自民党や読売、産経など)を批判し、あるいは不倫(民法は公序良俗違反と呼ぶ)による婚外子や「多様な結婚」と称する同性婚を容認するかのような論調を張り、家族崩壊に手を貸す。

 また、規範を培う道徳の教科化を「価値観の押し付け」として反対する。これでは犯罪少年を生み出さず、犯罪に走った少年を更生させるのはとても無理だ。こういう新聞に更生を語る資格などない。

(増 記代司)