武器輸出新原則にリカちゃん人形持ち出す朝日の繋がらないコラム

◆弊害が大きい三原則

 安倍内閣は武器輸出三原則に代えて、新たに「防衛装備移転三原則」を定めた。なぜかと言うと、従来の三原則にさまざまな弊害があったからだ。例えば、こんな逸話が残っている。

 ――カンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加した文民警察官が、帰国に際して使用した防弾チョッキを現地警察官に残していこうとしたところ、武器輸出三原則に反するとして許可されず、現地の人々を失望させた――  三原則の硬直化を象徴するエピソードだ。東南アジア諸国が海賊対策として廃艦となった護衛艦の購入を希望したところ、日本政府は武器輸出三原則を理由に認めなかったという話も伝わる。

 それで新原則は、国連安保理決議の違反国や紛争当事国には輸出を認めないが、平和貢献や国際協力の積極推進、わが国の安全保障に資する場合は認める。それも第三国移転などがないよう適正管理が確保されている場合に限るとした。しごく常識的な原則だ。

 だが、朝日は「平和主義が崩れていく」(3日付社説)と声高に叫び、毎日は「紛争の助長を憂慮する」(同)と批判した。朝日はかねがね三原則を「専守防衛に徹し、他国への脅威とならないという、戦後日本の抑制的な防衛政策の主要な柱のひとつ」(2011年12月25日付社説)と定義し、「歴代内閣が、曲がりなりにも60年近く掲げてきた」(3日付社説)としている。

◆例外を増やした実態

 だが、本当にそうだろうか。もともと三原則は1967年に佐藤内閣が打ち出したもので、①共産圏②国連決議による輸出禁止国③紛争当事国や恐れのある国――への武器輸出を禁じるもので、専守防衛とは無関係だ。

 この三原則は概(おおむ)妥当だった。自由を抹殺する共産国に武器を輸出すれば、自ら首を絞めることになるし、国連が決めたことに従うのは加盟国の義務だからだ。ところが、76年に三原則は変質した。安全保障に疎い三木内閣が軍隊で使用されるものをすべて武器とみなし禁輸の適用範囲を拡大した。それで防弾チョッキなど純粋な防衛装備も提供できなくなり、非武装論と同様の「不毛」と化した。

 これでは日米同盟にも支障をきたすと言うので、83年に日米間で一部を緩和し、日本の技術で開発された兵器は日米間で使用できるようにした。その後、共同開発は世界の潮流となり、日米間に限定できなくなった。戦闘機や艦船の開発には巨額の資金と最新技術が必要で、複数の同盟国が結集して開発するようになったからだ。

 例えば、次期主力戦闘機F35は米英など9カ国が共同開発したものだ。ミサイル防衛(MD)システムも日米で共同開発し、米国は欧州に提供するとしている。それを認めなければ、自由諸国の安全保障は成り立たない。

 だから朝日が言うような「歴代内閣が、曲がりなりにも60年近く掲げてきた」のではなく、次々に例外を設けてきたのが実態だ。民主党政権はそれを推し進めて例外を包括化した。が、例外が増えれば、原則でなくなる。それで新原則が必要となった。

◆「死の商人」とは無縁

 こうした背景があるにもかかわらず、朝日社説は安倍内閣の「防衛装備移転三原則」との命名にいちゃもんを付け、「『死の商人』との連想を避けるためだろうか」などと嘯(うそぶ)く。むろん新原則は「死の商人」と無縁だ。あくまでも平和を維持するためで、紛争の助長を企てるものでもない。朝毎は問題を単純化し過ぎている。

 そればかりか、朝日2日付社会面は「平和の証しが消える 『日本を「死の商人」にするな』抗議」との批判記事を載せ、「三原則と『同い年』リカちゃんは…」と題する意味不明な囲みまで組んだ。

 朝日によれば、リカちゃん人形は三原則と同じ67年に誕生し、現行モデルは87年製造の4代目という。だが、時代や流行にあわせて服装や髪形を変えても「想像力を膨らませ自分の夢や憧れを託す」という基本理念は忠実に守られてきたとし、三原則もかくあれ、と説くのだ。

 リカちゃん人形と三原則? どう考えてもつながらない。恐るべきこじつけである。朝日記者は想像力を膨らませ自分の夢や憧れを託している。これを空想的平和主義と呼ぶ。

(増 記代司)