ソ連の教訓学ばず家庭を忌み嫌いレーニンばりの家族解体策唱える朝日

家族のイメージ。「こども庁」として当初は名称が決まっていたが今回「こども家庭庁」に変更された。

壊された「家族の絆」
 30年前の1991年12月にソ連が崩壊した。これを受けて各紙はそろってプーチンのロシアを厳しく批判している。本紙25日付社説は「自由を求め、国際社会との協調路線を目指したはずのロシアは、プーチン大統領が強権体制を敷く“小さなソ連”となった」とし、「(崩壊したソ連と)同じ道を歩もうとしていると、なぜ分からないのか」と叱責する。「過ちを繰り返すつもりか」(日経24日付社説)というのが大方の見方だ。

 その過ちの一つに家族政策がある。1917年のロシア革命で権力を握った共産主義者が真っ先に取り組んだのは伝統的家族の解体だった。レーニンは「性の解放」を唱え、婚姻法を廃止して自由性愛を奨励し、子供の教育は親でなく国家が担うとした。

 その結果、社会はフリーセックスのアナーキー状況に陥り、私生児や少年非行が急増し混乱を極めた。そのためレーニンの後継者スターリンは従来の家族制度を復活せざるを得なくなった。だが、労働を神聖視して女性を労働に駆り立てたので“復活”した家族も結果的には解体を余儀なくされた。ロシア国民は「家族の絆」を壊されたのだ。

 この教訓も「なぜ分からないのか」と問いたい。それはロシアではなく、朝日に対してである。政府は子供施策の司令塔として「こども家庭庁」を発足させるが、これに対して朝日22日付社説「こども家庭庁 『司令塔』が務まるのか」はこう言った。

「新庁名」に噛み付く

 「当初は『こども庁』だった名称は、与党との調整で『こども家庭庁』になった。子どもだけでなく親などへの支援も大事なことはわかるが、『子育ての責任を負うのは家庭だ』という自民党内の保守派への配慮で変えたのであれば筋違いだ。そうした古い家族観こそ、施策の拡充を阻んできた一因であることを忘れてはならない」

 こども庁に「家庭」が加わったことに噛(か)み付いている。さらに社説だけでは物足りないとみえて24日付総合面では「『家庭』にこだわる子ども政策 『お母さんが育てるもの』? 新庁名の背景は」との見出しで、「家庭にこそ苦しめられている子どものことも考えての『こども家庭庁』なのか」と、家庭に集中砲火を浴びせている。

 これほど家庭を忌み嫌うメディアは他に知らない。そもそも世界人権宣言は「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」(16条3項)とし、国際人権規約も同様に家族に広範な保護と援助が与えられるべきだと定めている(人権A規約10条1項)。

 また2006年に改定された教育基本法は「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」(10条)としている。ここで言う「子の教育」は学校教育に限らない。親は誕生から子育て、教育に第一義的責任を有しているという意味だ。

 それにしても朝日が「『お母さんが育てるもの』?」を強調しているのには驚かされる。お母さんが育てなくて誰が育てるというのか。もちろんお父さんも育てる。「子育ての責任を負うのは家庭」に古いも新しいもない。それが世界の常識ではないか。

家庭なしに子育たず

 むろん社会には家庭や親に苦しむ子もいる。だから国は児童福祉に取り組む。その中で直接関わる児童支援は「ファミリー・ソーシャルワーク」を重んじ、子供を養育する「家族機能の改善」、養育力を回復させる「親子関係再構築」に努める。虐待などで家庭に戻せないときは「自立支援」とし、児童養護施設などに入所させるが、それで終わりでなく、そこから里親など新たな家庭構築を目指す。やはり家庭なくして子供は育たない。それが児童福祉に携わる人たちの実感である。

 それでも朝日がレーニンばりの家族解体策を唱えるなら、「過ちを繰り返すつもりか」と言うほかない。ソ連の教訓は他人事(ひとごと)ではない。

(増 記代司)