中国盲従・日韓分断の言論遺伝子受け継ぐ朝日に次の首相は乗せられるな
禍根残した拙速外交
朝日の1面コラム「天声人語」がこんなことを言っていた。「『内閣はできた時に最も力がある。できるだけ早く大きな仕事に取り組め』。田中角栄元首相の言葉だ。就任わずか2カ月半、北京に飛んで日中国交正常化を遂げる」(24日付)
退陣する菅義偉首相が「1年はあまりにも短い時間だった」と述懐したことに引っ掛けて書いているのだが、よほど日中国交に哀愁を感じるのか、例の引き方がいかにも朝日的である。それほど日中国交(1972年)は褒められたものだったか。やり方は早かったが、仕上がりは下の下。今日の台湾、尖閣諸島に禍根を残し、はっきり言って拙速外交の見本だ。
元朝日記者の長谷川煕(ひろし)氏によれば当時、社内にはソ連派と中国派が蠢(うごめ)いており、親中派の広岡知男社長が主導権を握ると中国従属報道へと舵(かじ)を切り、日中国交・台湾断交の音頭を取った(『崩壊 朝日新聞』ワック)。
広岡社長は秋岡家栄北京特派員に直接、指示を飛ばした。「書けば国外追放になるという限度があるだろう。その時は一歩手前で止まりなさい。極端に言えばゼロでもいい。書けなきゃ見て来るだけでもいいんだ」(朝日取材班『新聞と「昭和」』朝日新聞出版)
朝日は「報道の自由」を中国に売り渡した。文化大革命を礼賛し、林彪事件を覆い隠し、進歩的文化人を動員して日中国交の大合唱を演じ、批判されると広岡社長はこう開き直った。
「私には復交を第一に考えるべきだという大前提がある。だから悪い面を一つも報道しないじゃないかといっても、中国と握手しようとするときに横っ面(つら)張っておいて、おまえ仲良くしようということができますか」(『マスコミ文化』第11号)
報道よりも日中国交だった。広岡社長は、朝日が真実を報じようとするジャーナリズムではなく、報道を政治的に利用するプロパガンダ(扇動新聞)に化した。田中角栄氏はその朝日に乗せられた。
菅外交の成果着実に
ちなみにこの後、ソ連派の秦正流氏が実権を握り、80年代には反核・反スパイ防止法キャンペーンに血道を上げ、90年に突如、ソ連が消滅すると、次には「慰安婦」虚報に走った。麗澤大学客員教授の西岡力氏は産経8月25日付「正論」で「朝日新聞が慰安婦問題に関し捏造報道をして日韓関係を悪化させる契機を作ってから30年」を辿(たど)り、「日韓関係を悪化させた元凶」の朝日を指弾している。
少なくとも菅首相に拙速外交はない。それどころか、新型コロナウイルス禍にもかかわらず、菅外交の成果は着実に出ている(産経9日付「宮家邦彦のWorld Watch」)。特筆すべきはインド太平洋政策だ。宮家氏によれば、4月の日米首脳会談では中国の「戦狼(せんろう)」外交を踏まえて台湾問題に言及し、国際社会の対中懸念とも軌を一にした。日米同盟は安倍晋三前首相とトランプ前大統領の個人的関係から、さらなる深化を遂げた。
その成果がワシントンで開かれた日米豪印(クアッド)首脳会談だろう。菅首相に欠席の選択肢はない。ところが、天声人語は「(菅首相の訪米は)国連総会で恒例の演説かと思いきや、首都ワシントンで重要会合に臨むそうだ」と揶揄(やゆ)し、「首相退任の『花道』などと評する向きもあるようだが、悠長なことを言っている場合ではない」と結ぶ。
再びの日中国交提唱
確かに悠長に言っておられないが、朝日にとってそれは自由で開かれたインド太平洋のことではない。26日付社説「近隣外交 重い課題残す」は、「中国との直接対話や日韓関係の改善に主体的に取り組むことはなかった。『菅外交』の1年、積み残された課題は重く、特に近隣諸国との関係立て直しは、次の首相にとって待ったなしだ」と、再びの日中国交を唱えている。
中国盲従、日韓分断の言論遺伝子はまごうことなく朝日に受け継がれている。次の首相は乗せられてはなるまい。
(増 記代司)