コロナ禍の五輪・パラ開催を菅首相の政治的思惑に矮小化する朝日
◆菅首相の最大の功績
パラリンピック競技の感動に浸っている中、菅義偉首相が唐突に退陣表明したので驚いた。自民党総裁選に出馬すると明言した矢先のことだ。改めて政治の世界は「一寸先は闇」と思い知る。
新聞は当然のごとく、菅首相を袋叩きにしている(4日付)。政治部長の論評は左も右もさほど変わらない。朝日は「説明を尽くさぬ姿勢 限界に」(坂尻顕吾氏)、産経は「ワクチン頼み『言葉』足りぬまま」(佐々木美恵氏)。朝日紙面で言えば、「解散、人事、封じられ自滅」(総合面)、「対コロナ 国民の信失った末に」(社説)、「退陣 言葉響かぬまま」(社会面)。まあ、そんなところだとは思う。
が、パラリンピックの提唱者グッドマン先生も言うではないか、「失ったものを数えるな」と。それで菅政権が残した成果を挙げてみると、何といっても東京五輪・パラ開催がある。これは金字塔だ。
読売社説は「安全・安心な大会を実現する」と強調し中止論を抑えて開催に導き、大きな集団感染を発生させなかったとし、「国際社会に対して、開催国としての責任を果たすことができたのは、首相の功績」とする。産経主張は「(五輪開催が)内外から高い評価を得たことは指摘しておきたい」と遠慮気味に書くが、もっと評価してよいはずだ。
世論調査では一時、開催反対が7割にも及んだ。それで中止論は勢いづいた。時系列で追ってみると、口火を切ったのは共産党機関紙「赤旗」5月13日付で、地方紙の信濃毎日(長野)が同23日付、西日本(福岡)と沖縄タイムスが同25日付で反対社説を掲げ、全国紙では朝日が“王手”をかけるかのように同26日付で「中止の決断を首相に求める」と迫った。
並みの政治家ならコロナ禍に慌てふためき中止論に押されて詰んでいただろう。だが、菅首相はぶれなかった。無観客を余儀なくされたが、7月の開催にこぎ着けた。パンデミック(世界的流行)の中、205の国・地域から難民選手団を含め約1万1000人の選手が参加し、開催に感謝した。
◆開催後に賛否は逆転
それにもかかわらず、朝日は「分断と不信、漂流する祭典」(同23日付社説)と難癖を付けた。だが、五輪に分断も不信もなかった。開催後に賛否は逆転した。漂流しているのは反対論の方だ。そしてパラは161カ国・地域の約4400人の選手が参加し、五輪も霞(かす)むほどの感動をもたらした。
ところが、菅首相の退陣表明を受けた前記の朝日社説はこう言うのだ。「専門家の懸念や閣僚の進言を無視して、東京五輪・パラリンピックを強行したのも、国民的な盛り上がりを背に衆院を解散し、選挙戦の勝利を総裁選の無投票再選につなげたいという思惑からだとみられた」
これぞ下種の勘繰り。五輪に関して朝日はこの「思惑」をばかの一つ覚えのように繰り返している。元来、開催の是非を判断するのは国際オリンピック委員会(IOC)だ。政府は国際公約した開催へ環境を整備する。それもしないで中止すれば、日本の信用は丸つぶれだ。
世界保健機関(WHO)も反対しなかった。テドロス事務局長は開幕時に来日したが、「連帯や団結という五輪精神をパンデミック克服に生かすよう世界に求めるため」と述べている(時事7月31日)。
専門家の懸念はあったが、だからこそ感染防止に運営スタッフのみならず、各国の選手・関係者も力を尽くした。それを何でもかんでも菅首相の政治的思惑に矮小(わいしょう)化するのは捏造(ねつぞう)だ。
◆事実ひん曲げて記録
むろん菅首相の不人気は覆い難い。プレゼンテーションが実に下手だった。「追い込まれ退陣表明」なのは否めない。だが、少なくとも五輪・パラは、やって本当によかった。菅さん、ありがとう。そんな一言が新聞にあってもよいではないか。新聞は「歴史の記録者」(新聞倫理綱領)と言うけれど、ときには事実をひん曲げて記録する。
(増 記代司)





