人権第一の「現行憲法」を皇室の上位に置き敬語を一切使わない朝日

◆「ご一家」の「ご」省く

 福祉施設でホームレスの就職活動に立ち会ったことがある。面接のマナーを学ぶため高校の就活担当の先生を招き、指導を受けていた。難しかったのは敬語。「面接に来た」は「参りました」、「資料を見た」は「拝見しました」。敬語を使っていない身には言いづらく、とりわけ、へりくだる謙譲語は苦手。先生は「気持ちだけは丁寧にいきましょう」と励ましておられた。

 この記憶が蘇(よみがえ)ったのは、皇位継承の在り方を論じた朝日の10日付社説「皇族数の確保 国民の理解が欠かせぬ」を読んだからだ。その中で「国の制度を特定の一家が担うことの難しさ」と、皇族のことを「一家」と呼んでいた。繰り返すが「一家」だ。他紙はいずれも「ご一家」なのに朝日だけが「一家」。尊敬の意を添える「御」を省いている。

 いくら何でも皇族に「一家」はなかろう。われら庶民でも街で友人家族と出会った時には、「ご一家で来られましたか」などと日常的に「ご」を使う。いきなり「一家」と呼べば、古い人間には「清水次郎長一家」の一家が浮かんでくる。

 メディアは客観的に報じることを理由に人物に敬称や敬語を付けないが、皇室には「原則として敬称、敬語を使う」(共同通信『記者ハンドブック』2005年版)。「御」については「常用漢字表で『ご』と読むが、固有名詞以外はなるべく『ご』と平仮名書きにする」とし「ご結婚」「ご夫妻」「東宮御所」といった使用例を挙げている。

 また「敬称、敬語の使用についての国民感情も共同通信の世論調査では『今のままでよい』が多数を占めている」として敬語使用を妥当としている。この原則を変えたという話は聞かない。

 このハンドブックは全国の多くのメディア関係者が使っており、これに従い「ご一家」と報じているわけだ。むろん、それ以前に皇室への尊敬心があれば、おのずと敬語になるというのが普通の感覚だろう。ところが、朝日とその息の掛かる沖縄タイムス、左傾化が顕著な北海道新聞などはかねてより皇室に敬語を使わない。

 いったい敬語とは何か。文化審議会の「敬語の指針」(07年)は「敬語は、古代から現代に至る日本語の歴史の中で、一貫して重要な役割を担い続けている」とし、その役割は自らの意思や感情を単に表現するだけでなく、「相手や周囲の人と、自らとの人間関係・社会関係についての気持ちの在り方を表現するもの」とし、「逆に、敬語を用いなければ、用いたときとは異なる人間関係が表現されることになる」と教示している。

◆男系男子潰しに躍起

 では、皇室に敬語を用いない朝日はどんな気持ちや、敬語を用いる他紙とは異なるどんな人間関係を表現しようとしているのか。前記の朝日社説を見てみよう。

 安定的な皇位継承策について政府の有識者会議が7月、女性宮家の創設と旧宮家の男系男子の養子縁組による皇族復帰、法律改正での旧宮家復帰の3案を示したが、朝日は後者2案を「皇位は未来永劫(えいごう)にわたり男系男子で継承しなければならない」との考えだとしてバッサリ切り捨てる。

 その根拠に挙げるのは現行憲法だ。旧宮家の皇族復帰は「門地による差別を禁じた憲法に違反する」、旧宮家の養子縁組も同様で「伝統は尊重すべきだが、人権に反し、憲法に抵触しかねないことまでして固執する伝統とは何か」と、伝統を言いつつ伝統を尊ぶ気持ちはなく、男系男子潰(つぶ)しに気炎を吐く。

◆敬う気持ち全くなし

 朝日は人権第一の「現行憲法」を皇室の上位に置く。それで敬語を使わないのだ。社会・人間関係も並列で上下を認めず、すべて横一列の現実にない平面的な2次元世界を描く。だから朝日にはそもそも敬語が必要ないのだ。これでは皇室だけでなく社会すべてから、古代からの伝統ある日本語の敬語が消えうせる。

 高校の先生は「気持ちだけは丁寧に」とおっしゃたが、朝日にはその気持ちはさらさらない。あな恐ろしや。

(増 記代司)