東京五輪閉幕、あくどい「幻想」を振りまき大恥をかいたリベラル各紙
◆「金」に値する対応力
「やってくれて、ありがとう」。閉幕した東京五輪はこの一言に尽きるのではないか。選手だけでなく、多くの人からこの声が聞かれた。
新型コロナ禍が世界を覆っている厳しい環境下での開催だった。困難を乗り越え205の国・地域から難民選手団を含め1万1000人の選手が東京に集い、熱戦を繰り広げ、互いの健闘をたたえ合った。五輪が新型コロナウイルスの感染拡大につながることもなかった。
次期開催地のパリ五輪・パラリンピック大会組織委会長のトニ・エスタンゲ会長は「五輪を開催するため、こんなに多大な努力を注いだ開催都市は少ない。東京は対応力で金メダルに値する」と称賛している(読売7日付)。
ここに至るまで1年延期はもとより、さまざまな出来事があった。組織委をめぐる不祥事もあった。五輪がクラスターを引き起こす不安もあった。朝日、毎日、東京などのリベラル紙はここぞとばかりに責め立て、中止や延期を唱えた。それでも選手、関係者、ボランティアはめげずに準備した。菅義偉首相や組織委もぶれずに開催にこぎ着けた。まさに金メダルに匹敵する。
◆本音を吐露した毎日
五輪開会式当日のリベラル紙の社説を振り返ると、朝日は「分断と不信、漂流する祭典」、毎日は「五輪の理念踏みにじった」、東京は「対立と分断を憂える」と、みそくそに言っていた。
これに対して保守紙の読売は「コロナ禍に希望と力届けたい」、産経は「明日につながる熱戦臨む」、本紙は「『スポーツの力』で希望の灯を」と開催の意義を語り、成功を祈願した(いずれも7月23日付)。
五輪開会式のテレビ中継は56%の高視聴率をたたき出し(ビデオリサーチ調べ、関東地区)、その後の競技に国民は魅せられた。五輪には分断も不信もなければ、漂流もしなかった。五輪の理念が踏みにじられることもなかった。保守紙に軍配が上がったのは一目瞭然だ。あくどい「幻想」を振りまいたリベラル紙は大敗北、大恥をかいた。
いったい、どの面を下げて五輪を報道しているのか。紙面を見ると、日本選手のメダルラッシュに便乗し、ちゃっかり五輪ページを増やしていた。大した厚顔ぶりだ。毎日7日付の1面コラム「余録」は「中止を求める声も少なくない中、大半が無観客で開催された東京五輪全体の評価は簡単に定まるまい。今後も議論が必要だ」と社の建前論を言いつつ、こう本音を吐露している。
「とはいえ、人類の限界ぎりぎりの能力を発揮するアスリートの姿が映像で流されて世界の人々を感動させ、後世に語り継がれる新たな歴史を作っていることは否定できない。スポーツの力だろう」
素直に感動し、スポーツの力に脱帽している。これは毎日の敗北宣言とも読める。これに対して朝日8日付「天声人語」は何様なのか。
「人々を引き裂いた異形の大会は、美しい理念の下に隠されていた影をも暴いた。熱狂と連帯に彩られた五輪という夢よ、さようなら」
何と、さようなら、だって。「世界一熱い男」の松岡修造さん(テレビ朝日スポーツ解説者)、これでいいのですか、と思わず聞きたくなった。朝日は東京五輪に賛同する「オフィシャルパートナー」だ。そこまで言うなら、とっととスポンサーを降りればよい。それもせず「さようなら」とは舌先三寸。偽善者ぶりが極まっている。
◆憎悪を生み出す朝日
近代五輪の生みの親クーベルタンは「憎悪を生み誤解を生む無知」からの解放を五輪に願った(1894年、アテネでの講演)。ところが、朝日はその真逆に憎悪を生み出し誤解を広げ、無知へと誘っている。
そういえば、古代オリンピックはゼウス神への宣誓から始まった。ゼウス神は正義と法の主宰者だ。「宣誓の神」の異名を持ち、背けば天罰を下す。舌先三寸の「天声人語」をお認めにはなるまい。こりゃ怖いぞ、朝日。
(増 記代司)