東京五輪延期で危ぶまれた開催に再放送で示唆が増した「いだてん」
◆災禍の視座から共感
「こんな時にオリンピックですか!」
「こんな時だからこそ、スポーツが人々に力を与えるんです!」
五輪開会式前の7月22日午後、NHKで再放送された大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」総集編後編の一場面は、2019年に放送された時より心に響いた。
関東大震災(1923年)の翌年の東京で、柔道の創始者にして東京高等師範学校校長、大日本体育協会会長の嘉納治五郎(演・役所広司)がパリ五輪への出場選手を決めるマラソン予選を行う際、災禍の傷痕が残る市井から批判のヤジが飛び、振り返った嘉納は五輪の意義を力説する、というシーンだ。
毎週日曜の同番組を視聴した一昨年は、新型コロナウイルス感染の世界流行(パンデミック)など想像さえできなかった。どちらかといえば、寄席を交えて近代日本と五輪を振り返る宮藤官九郎脚本のドラマは、NHK大河にしては一風変わったコミカルな展開で、2020東京大会の景気付けだろうと“許容”しながら楽しんだ。
ところが、東京五輪・パラリンピックは1年延期され、今年に入っても開催が危ぶまれたことで、意図せず一昨年と別の視座から示唆のあるメッセージを再放送で発することになったように感じた。
◆金栗四三の悲憤慷慨
特に、五輪を目指してトレーニングを年齢と共に重ねてきたアスリートにとって、いかに中止が無慈悲でショックかを描いていたのが、日本人初の五輪アスリート、マラソン選手の金栗四三(演・中村勘九郎)を主人公に描いた前編の総集編。
初出場のストックホルム大会(1912年)では、熱暑で意識が薄れる中、コースを外れて気絶。未完走に終わった雪辱を果たそうと、次のベルリン五輪に向けて新婚生活を犠牲にしながら砂浜や波打ち際で足に負荷を掛けて走るなど1日も欠かさず猛練習に励む。1914年には当時のマラソン世界新記録を達成、選手として金メダルに最も近い絶頂期にあった。
ある日、嘉納に呼び出された金栗は、勃発した「欧州戦争」(第1次大戦)のため五輪は中止だと告げられ、一瞬、言葉を失う。今大会では、パンデミックで開催に言及した大会関係者が悪者扱いされるほど中止世論が勢いを得ていた。ドラマ中で茫然(ぼうぜん)自失し悲憤慷慨(ひふんこうがい)する金栗の姿は、今大会が中止になった場合、すべての五輪アスリートに重なったかも知れない。
新型コロナ感染拡大、緊急事態宣言、大会関係者の相次ぐ辞任・解任など、厳しい状況が存在することも事実だ。政治では衆院選を控え、コロナ対策の追及で政府を窮地に陥れようとする野党が五輪中止を要請したり、延期を強く主張した。スポーツとは別の議論が多過ぎたと言えよう。
総集編後編の主人公は64年東京大会招致の立役者・田畑政治(演・阿部サダヲ)だが、戦前、嘉納と共に関東大震災復興の一環として五輪招致に奔走し、36年に東京への40年大会招致に成功しながらも、その後、戦争を理由に返上を主張する。
ドラマ中、38年、国際オリンピック委員会(IOC)カイロ総会に向かう嘉納に、東京大会の返上を訴える田畑は、「今の日本は世界に見せたい日本ですか!」と迫ったが、今日はどうか? カイロ総会の帰路の船中で嘉納は発病して死去。その後、政府は五輪返上を決定、孤立した日本は第2次大戦へ進んだ。
◆人々に力与える五輪
五輪が開かれない事例は大戦だけのままだ。今大会が開催されてよかった。先進国首脳会議(G7)など国際社会がコロナとの戦いで団結し、東京大会開催を支持した。コロナ禍は越えられない山ではないことを205の国・地域の参加が示した。
将来また日本で五輪があるだろう。その時に大河ドラマが今大会を扱うなら、パンデミックにあって人々に力を与えたことを描くはずだ。
(窪田伸雄)