戦後70余年、日本が自由主義国であることに難癖を付け続ける朝日
◆非武装なら即共産化
日本は天皇を戴(いただ)き、かつ自由と民主主義の国だ。経済的に恵まれた国だ。何よりも戦争がない、飢餓がない、独裁がない、民族的ジェノサイド(集団虐殺)がない。むろん、さまざまな問題もあるが、大局から言えば、幸せな国だ。これはひとえに自由陣営の一員として生きてきたからだ。
仮に戦後、共産陣営に組み込まれていれば、自由や民主主義がないばかりか、皇統をはじめとする歴史的伝統はすべて消し去られ、数々の血の惨劇に遭っていたことだろう。まぁ、こんな当たり前の話は今さら、ではある。
ところが、朝日は十年一日の如(ごと)く、いや、七十年一日の如く、自由主義国であることに難癖を付け続けてきた。終戦後、自由主義諸国とサンフランシスコ講和条約を結び主権を回復したが、この時朝日はソ連と手を組む「全面講和」や「永世中立」を唱え、こう言った。
「非武装中立を保障する国際規約も、この領土内に一国の軍事基地があってはできない相談となろう。日本の中立的地位も、それによって揺らぐであろう」(1950年5月20日から3日連載社説)
朝日は米軍を追い出す魂胆だった。その1カ月後の6月25日に中ソに支援された北朝鮮軍が韓国に侵略した。朝日の主張を鵜呑(うの)みにしていれば、「次は日本列島の赤化」(金日成)が現実となっただろう。
1960年の日米安保条約改定、いわゆる60年安保の時はこう言った。
「中ソに対しても無用な疑惑を与えるような改定はしないこと」(59年10月19日付社説)「改定、米国のため 日本を守る道・中立が最も良い」(60年1月18日付)
中立を言うならスイスのように国民皆兵やスウェーデンのように重武装が常識だが、朝日は自衛隊違憲・非武装中立論だ。これに従えば、たちどころに共産化されていた。
◆中国と全く同じ主張
80年代にソ連は西欧の主要都市を射程に入れるSS20中距離核弾道ミサイルを配備し、軍事バランスを揺るがした。それで米国はパーシングⅡミサイルで抑止しようとした。すると自由諸国でにわかに反核・反米運動が起こった。日本の旗振り役は朝日で、共産党とタッグを組んで反核キャンペーンを張り、こんな記事も載せた。
「反核署名“草の芽”にもじわじわ 『ぼくも私もやる』小中高生、広がる危機感」(82年4月10日付夕刊1面)
なんと“学徒動員”までして反核・反米運動を煽(あお)った。レーガン米政権の抑止策がソ連崩壊の端緒を開いたが、この時反核運動に屈していれば日本も危うかった。
そして今。令和3年版「防衛白書」に対して14日付社説は「対中、懸念のその先は」と、ナゾナゾのようなタイトルを掲げて異を唱えている。
朝日の主張をざっくり言うと、中国の軍事増強への「懸念」はよいが、「脅威」と表現するな。そんな「攻撃的な発信」は対抗措置を招き、相互不信から軍拡競争へつながる。「力による対決ではなく、協調による共存」を目指せ、と。
中国外務省の趙立堅副報道局長は防衛白書に「中国脅威論を煽っている」と反発しているが、朝日はその中国の言い分をなぞっている。リベラルの毎日すら「抑止と対話が戦略の両輪」(16日社説)と抑止を肯定しているのに、朝日はそれすら認めない。
自由と民主主義を否定する中国との「協調による共存」など真っ平ごめんだ。朝日に「自由か共産か」と問えば、まごうことなく「共産」と答えるつもりらしい。中国文学者(慶応大学教授)の村松暎氏の言が思い出される。
◆日本の「最大の不幸」
「西側に立つ日本を混乱させようというのが朝日の狙いなのである。(中略)この朝日が日本最大の権威と影響力を持つ新聞だということは、民主主義日本にとって最大の不幸である」(月刊『諸君!』85年1月号)
幸せな国の「最大の不幸」は、戦後70余年を経ても連綿と続いているのだ。
(増 記代司)










