五輪を政権闘争に引きずり込む朝日、負けを恐れて保身に走る政治家

◆変わり身の早い福島

 「政治家にとって内なる敵は何か」と、高名な宗教家にお聞きしたことがある。即座に答えが返ってきた、「保身である」と。保身とは、自分の地位、名声、安穏を失うまいと身を処すること。東京五輪を無観客とする政治判断にも「保身」のにおいがする。

 福島県で行われる五輪の野球・ソフトボールは当初、観客は収容の半数となる上限7150人で実施することになった。ところが、その決定の2日後、知事は一転して無観客と決めた。変わり身の早さに驚く。北海道が前日に無観客と決めたので大急ぎで追従したのか。五輪でコロナ感染が増えれば責任が問われる。そんな保身が透けて見える。

 福島県(180万人)の感染者数は約5000人。人口比でわずか0・27%。入院患者は約150人で、病床使用率は30%。高齢者のワクチン接種率は1回目77%、2回目48%と高まっている(いずれも10日現在)。感染者が増加傾向にあるといっても1日10~20人規模。感染拡大を封じる決意と方策を語らず、無観客とは理解不能だ。

 毎日新聞福島版に福島市の歯科医師(38)の声が載っていた。「感染状況も一時ほどではないし、海外客も来ない。プロ野球は首都圏でも有観客でクラスターが出たと言う話も聞かないのに、福島県の方針は合理性がない。『復興五輪』と言っていたのに、結局何だったのか」

 東京ドームは大都会のど真ん中。観客の大半はJR総武線か地下鉄を利用し「密」。一方、五輪の舞台となる福島市の県営あずま球場は山の麓の青空球場。それでもクラスター対策ができないなら無能の極みだ。筆者も福島県民なので厳しく言わせてもらった。

◆発端は政府の腰砕け

 さて、無観客の発端は政府の腰砕けだ。東京都に4回目の緊急事態宣言を発令したのに伴って、首都圏1都3県の会場を無観客で開催することを決めた。産経9日付主張が「五輪『無観客』は大失態だ」と憤るのは、むべなるかな。

 東京五輪は8年前、大会の成功を約束して招致に成功した。それを昨年、安倍前首相が1年延期を国際オリンピック委員会(IOC)に提案し認められたことで、コロナとの戦いに打ち勝った証しとしての五輪開催に責任を負った。世界も日本のコロナ対応と開催準備能力を信じ、期待して1年の延期を了承した。

 「『無観客開催』は公約の破棄に等しく、ホスト国として恥ずかしい大失態である。欧米の各地で有観客のスポーツイベントが開催されている実態をみれば言い訳はできない」

 本紙11日付社説は「ホスト国として痛恨事だ」と嘆じ、無観客とした動機を「秋の衆院総選挙を前に世論の批判を受けることを避ける政治的な判断が働いたとみるしかない」と断じる。とすれば、菅政権の保身の無観客か。

 朝日は五輪を「政局」としてしか論じてこなかった。政局とは、首相の進退や衆議院の解散など重大局面につながる政権闘争のことだ。「東京五輪の成功を追い風に衆院を解散して、政権の継続を国民に問う」(6月3日付)といったシナリオを忖度(そんたく)し、「選挙で勝つための五輪」と決め付け、菅政権に「命よりも五輪」のレッテルを貼った。

◆思惑通りの「無観客」

 「五輪は誰のため」と題するシリーズでは初回6月25日付1面トップで「安倍氏のこだわり、継ぐ首相 『国威発揚』重なる64年の五輪」と政局話から始めた。それも安倍批判の毒を含んで。こうした批判を避けたいがために無観客を決めたとすれば、五輪を貶(おとし)めようとする朝日の思惑通りではないか。

 古代のオリンピアの祭典は戦争中のポリス(都市国家)も民族、種族も休戦させて地中海全域から参加した。休戦は戦争だけの話ではない。政治休戦もそうだ。ところが、わが国では五輪を政局(政権闘争)という政治戦争へと引きずり込み、一方は負けを恐れて保身に走る。日本の政治は古代ギリシャ以下とは何とも情けない。

(増 記代司)