金看板の「権力の監視」には触れず読者に購読料値上げを告げる朝日
◆「真実の追究」を怠る
「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究」と新聞倫理綱領にある。ところが、朝日の編集委員、曽我豪氏は政治部長時代に「権力監視こそ新聞社の使命だ」とぶち上げ、安倍政権の粗探しに汲々(きゅうきゅう)とした。何も今に始まった話ではないが、「権力の監視」は朝日の金看板といっても過言ではない。
「真実の追究」と「権力の監視」では随分、意味合いが違う。真実の追究は「うそ偽りのない本当のこと」を「尋ねきわめること」だから真実に対して謙虚でなくてはならない。これに対して監視は「(悪事が起こらないように)見張ること」だから自(おの)ずと自分は正しいという前提に立つ。
この正義感が曲者(くせもの)だ。謙虚さを失って、つまり真実の追究を怠って記事を書くようになりかねない。だから「権力の監視」には虚偽・誤報が生まれる素地がある。
首相官邸で開かれる菅義偉首相の記者会見はコロナ対策で人数制限しているが、地方紙やフリージャーナリストらが参加人数を増やせと主張している。これを報じる朝日12日付メディア欄は、この主張に同調し、人数制限する官邸を批判している。
記事末尾にメディア学が専門だという大学准教授のコメントが載っていた。どうやら朝日の本音を代弁させたようだ。それにはこうある。
「記者の仕事は国民の目や耳や口として、権力が腐敗や暴走しないよう監視すること。会見の人数制限はその仕事を妨げるものであり、内閣記者会は撤廃に向けて団結して官邸と交渉するべきだ」
ここでも記者の役割は「真実の追究」ではなく「権力の監視」だ。おまけに団結して交渉、つまり団交をけしかけている。大学紛争が盛んだった頃、朝日は中国の文革を賛美し、それに乗せられた左翼学生が「造反有理」と叫んで教授らをつるし上げた。まさか菅首相をつるし上げ?
東京新聞の望月衣塑子記者のように会見のルールを平然と破り、延々と質問攻めにする活動家記者もいるから、それもないとは言えない。モーゼの十戒に「盗むなかれ」とあるが、一国の総理の貴重な時間を奪うのも立派な盗人ではないか。
◆虚偽報道数え切れず
さて、その朝日がいつもの「権力監視」の威勢良さを引っ込めて、平身低頭の社告を10日付に掲載した。7月から購読料を1割近く値上げする社告だ。前回値上げした1993年12月に約820万部だったのが、昨年8月に500万部を割り、広告収入は2008年のリーマン・ショックなどを経て年々減少、コロナ禍も経営に影響しており、長年の経営努力が限界に達し、読者にご負担をお願いせざるを得ない。そんな長文の泣きを入れる社告だった。
朝日には(他紙もそうだが)販売店に押し付ける「押し紙」がかなりある。だから実際の部数は28年間で、ざっくり半減したと見てよい。インターネットの普及などで新聞事業を取り巻く環境が厳しさを増しているのは事実だが、朝日の部数減はそれだけではあるまい。この間、朝日の虚偽報道は枚挙に暇(いとま)がなかった。
代表的なのが「吉田証言」と「吉田調書」の虚偽・捏造(ねつぞう)報道。前者は慰安婦をめぐる吉田清治氏の「金儲(もう)けのための詐話」を垂れ流し続けたもの。後者は福島第1原発事故で現場指揮を執った吉田昌郎所長の調書を捏造し、所員の9割が逃げたという事実無根のでっち上げ記事。いずれも「1億人が報道被害者になった大誤報」(週刊新潮)だった。
◆偽善の顔が見え隠れ
社告はこうした自らの失点にまったく触れず、ぬけぬけとこう言っている。「当社は、記者が一つひとつ事実を確認しながら、くらしや仕事に役立ち、日々を豊かにする情報をお伝えしようと努めています」。金看板の「権力の監視」についてはケの字も書かれていない。ここにも偽善の顔が見え隠れする。
とまれ社内ではリストラ、購読者には値上げ。部数減は底なしか。
(増 記代司)