過熱する五輪開催の賛否めぐる論争から選手守れと訴える産経など
◆選手への攻撃を非難
東京オリンピック開幕まで約2カ月と迫る中で、折からの新型コロナ禍の収束に手間取っていることに絡んで、五輪とそれに続くパラリンピック開催の是非をめぐる論争が過熱化している。論争は一方でインターネット交流サービス(SNS)上にまで広がり、五輪代表に決まった競泳の池江璃花子選手らに出場辞退を求めるなどの異常事態にもなっている。
こうした状況に新聞の論調は、選手批判を非難して選手を守ろうと訴える主張と、五輪開催に強い懐疑を投げ掛けて政府批判を展開する主張とに割れた。前者は「選手への攻撃は許せない」のタイトルの産経(16日付・主張)と「選手を批判するのは筋違いだ」の読売(12日付・社説)、「選手に向かう五輪批判 根底に主催者への不信感」などの毎日(14日、12日付・同)であり、後者は「開催ありき 破綻あらわ」の朝日(12日付・同)とに分けられるのである。
「五輪批判のためなら、手段を選ばぬということか。看過し難い、選手個人への攻撃である」
冒頭から選手への攻撃に憤る産経は、開催の可否を決定するのは国際オリンピック委員会(IOC)で選手ではないことを明言。「池江への要求は見当違いも甚だしく、不当な圧力でしかない。何よりも『オリンピックに出るため、ずっと頑張ってきました』という池江の思いを踏みにじる残酷な暴論だ」と批判を切り捨てた。
その上で難病(急性リンパ性白血病)を克服して4月の日本選手権でリレー代表メンバーに選ばれた池江の力強い泳ぎが「同じ難病に苦しむ人にとって、闘病生活に差しこむ光だろう」「明日を信じて練習に打ち込む姿に、新型コロナウイルス禍という国難の中で東京五輪を開催する意義を見た人も多いはずだ」と五輪の意義を強調。「外野の思惑のために、彼ら(競技者)の思いが曲げられることを許してはなるまい」と訴え、世の中に選手を見守り、支える寛容さを求めたのだ。
選手ファーストの視点を貫く、まったく同感できる主張である。
◆政府は具体策明示を
東京五輪などの開催中止を求める声があることに、読売は「だからといって、選手に参加を辞退するよう迫ったり、非難の矛先を向けたりするのは筋違い」「あまりに酷な注文で、配慮を欠いている」「五輪開催の是非論に、選手を無理やり巻き込むべきではない」とたしなめる。そして「五輪中止を求めるなら、政府や東京都などに向けて声を上げるべきである」と筋論を展開。
一方で、「開催への批判が選手に向かう背景には、政府や都などが十分な説明をしないことへの苛立(いらだ)ちがあるのではないか」と指摘し、政府などに大会実現の具体策を早急に明確にするよう求めたことも妥当な指摘ではある。
毎日も、選手個人が矢面に立たされる異常な状況の「根底には、国民の間に広がる主催者側への不信感があるのではないか」と問い、批判されるべきはIOCや大会組織委員会、政府などだと指摘。五輪開催の可否で世論が割れる中で、「選手が板挟みになるようなことがあってはならない」とし政府に「国民が納得できる対応をする責任がある」ことを強調した。
◆「中止ありき」の朝日
これに対して朝日は、見出しにも取ったように10日の衆参両院の予算委員会で野党が「開催ありき」だとして政府の姿勢を批判したことに同調する主張で迫った。菅首相の「答弁を聞いて、いったいどれだけの人が納得しただろうか。わかったのは、滞りなく大会を開ける状況にはおよそないという厳然たる事実だ」と批判する。
政府は新型コロナウイルスの感染拡大抑止と五輪開催を両立させる難題に対応して臨機応変の現在進行形で取り組む。それだけに、国民の命を守ることと安全安心な大会実現に「全力を尽くす」と原則論で菅首相が答弁するのは致し方ない一面もある。だが、朝日は「まともに答えない・答えられないその態度は、開催への疑義をさらに深めた」と決め付けだけ。朝日の批判の方も、まず「中止ありき」があって、IOCの選手団へのワクチン手配などあらゆることに難癖を付けているだけの気がしてくるのだが。
(堀本和博)