大阪本社版5万号特集で大阪・関西万博推進に宗旨替えした朝日

◆通し番号違う東京版

 朝日が3月2日付で5万号を数えた。「朝日新聞5万号のあゆみ」との特集が載っていたので初めて知った。5万とは大したものだ。

 それで2日付の他紙を見ると、毎日は52204号、読売は52148号とある。上には上がいる。いずれも創刊は明治初期。日本の近代化とともに新聞は歩んできたわけだ。戦後生まれの産経は28060号と浅い。もっとも福沢諭吉が興した時事新報の流れを汲(く)むので、こちらも引けを取らない。

 改めて朝日の5万の数字を味わおうと、同日付の題字上に目をやると、48392号とある。えっ、違うじゃないか、と思わず声が出た。特集をよく読むと、大阪で創刊した朝日は5万号で、東京本社版は4年後に5万号を迎えるそうだ。大阪と東京では通し番号が違っていた。これも初めて知った。

 それでデジタルの大阪本社版を開いてみると、なるほど50000号とある。東京版と同じく特集があるが、こっちは別刷作りで一段と力が入っていた。特集の中身は東京も大阪も変わらないが、常日ごろの「硬派の朝日」と違って、いかにも軟派風だ。

 見開き2ページの上段には創刊から現代に至る年表がある。それは夏目漱石入社とか、宝塚少女歌劇団第1回公演といった“文化モノ”がメイン。その下段は「万博」特集だ。19世紀のパリ万博、1970年の大阪万博、2005年の愛知万博、そして25年の大阪・関西万博。これを報じる朝日紙面や写真が並び、佐野真由子・京都大学大学院教授の「万博と新聞『世界』と会える場所」と題する一文が添えられていた。

 「万博は世界最大規模のイベントです。新聞はあらゆる角度から掘り下げて報じ、『今という時代』を切り取ってほしいですね」と佐野氏はエールを送っている。

◆部数減阻止で便乗か

 これほど朝日が万博に力を入れているとは、これまた知らなかった。大阪・関西万博を心血を注いで誘致したのは、大阪維新の会の松井一郎知事(現大阪市長)や吉村洋文市長(現府知事)らで、後押ししたのは安倍晋三前政権だった。いずれも朝日の天敵だ。

 日ごろ、東京版しか読まないが、万博開催に冷ややかだった印象しかない。こと万博は宗旨替えか。近年、朝日の部数減は激しい。昨年、40万部以上も減ったとされる。維新の支持率の高い関西ではどうだろう。「大阪・関西」の名を冠する万博に反対していれば、朝日の居場所がなくなる。それで万博に便乗? そんな下種(げす)の勘繰りをしたくなる。

 それにしても5万号特集が万博とはいかにも解せない。特集の中で、数えで100歳を迎える瀬戸内寂聴氏(作家・僧侶)がこう仰っている。「『肉弾三勇士』の記事はよく覚えています。満州事変の翌年の上海事変(1932年)で、爆弾を抱えて相手の陣地に突入して亡くなった3人の兵士を英雄としてたたえたものです。小学生だった私はとても感動しましたね。お国のために命を捨てる。それが尊いことだと教えられ、新聞もそう伝えていましたから。新聞とラジオくらいしかメディアがなく、そのニュースを信じるしかなかった時代でした」

◆煽動体質は変わらず

 その反動で戦後、瀬戸内氏のように反戦に転じた国民は少なくない。あつものに懲りてなますを吹く。戦後の朝日は戦争を防ぐ手立て(防衛、抑止力)まで否定し、それが平和をもたらすかのような幻想を振りまいた。好戦から反戦への宗旨替え。といっても煽動(せんどう)体質は変わらないが。

 5万号と胸を張るなら、万博でお茶を濁すな。少なくとも250万英霊はそう叫ぶに違いない。4年後の東京本社版の5万号はどの面下げて特集を組むつもりか。部数減が続けば、万博どころではない。そういえば、大阪版には関西電力の「原発推進」全面カラー広告が載っていた。さて、どんな宗旨替えが登場するか、しかと見届けよう。

(増 記代司)