緊急事態発生時に国民の命を守れぬ「平時の憲法」に固執する左派紙

◆対策を邪魔する野党

 「新型コロナウイルスの第3波をどう封じるか、正念場だ。コロナとの闘いは丸1年になる。昨年1月には野党と左派紙は「桜を見る会」「モリカケ」の追及にうつつを抜かし、2月には安倍晋三首相(当時)の全国一斉休校要請を「独断専行」と罵(ののし)り、3月には緊急事態宣言の法的根拠となる改正新型インフルエンザ対策特措法を「人権侵害」呼ばわりし、対策の足を引っ張った。

 12月には手のひらを返して緊急事態宣言の発令が遅いと、今度は菅義偉首相の「後手」に噛(か)み付いた。そして今月、政府が特措法の実効性を高めるため罰則の伴う措置を取れる改正案を国会に提出すると、またまた「人権」批判だ。

 特措法施行から10カ月が経つが、同法の下で、どんな人権侵害があったと言うのか。メディアが伝えるのは、感染者やその家族、最前線でコロナと闘う医療従事者、物流を支える運送業者などに対する差別やいじめなどであって、特措法自体による人権侵害は聞かない。

 左派紙つまり護憲派の“聖典”である現行憲法は、自由や権利は濫用(らんよう)してはならず、「公共の福祉」のために利用する責任を負うとしている(12条)。責任とは、何かが起きた時、それに対して応答、対処する義務のことだ。義務に反すれば、制裁がある。当然の道理だ。

 今回の改正案の措置は、入院先や療養先から無断で外出する例があるので、コロナ禍の前線に立つ知事らが実効性を高めるために要望したものだ(1月9日「全国知事会緊急提言」)。ところが朝日はこう言った。

◆有事を想定せぬ朝日

 「そうした行動をとった人の中には、そうせざるを得なかった種々の事情があったとも考えられる」(23日付社説「疑問が尽きない政府案」)。

いやはや、感染防止を最優先する中で「種々の事情」を持ち出すとは。これでは緊急事態もへったくれもない。朝日には平時あるのみで有事なし。疑問が尽きないのは当の朝日だ。19日付社説ではコロナ対策を喫緊の課題としつつも、一方でこう言った。

 「前政権下で失われた国会の政府に対するチェック機能、立法府と行政府の緊張関係を取り戻す必要がある。まずは、菅政権が前政権の『負の遺産』を直視し、信頼回復に全力をあげることが不可欠である」

 何を惚(ぼ)けたことを言っているのか。「負の遺産」を言うなら、野党が反対ばかりで建設的討議を拒絶し、それに呼応して朝日などの左派メディアが国会外のデモをさも国民世論だと言い募り、米国同様の「断絶」をもたらしたことだ。緊急事態で求められるのは立法府と行政府の緊張関係ではなく、一致協力して速やかに感染症を封じ込めることだ。それが政治への信頼回復の道ではないのか。

 ところが、毎日は性懲りもなく17日付社説で「安倍氏の『桜』前夜祭 国会の場で疑惑の解明を」と叫んでいる。「桜」問題は国民生活を揺るがすほどの緊急事態であるはずがない。この期に及んで「改憲の安倍」潰(つぶ)しとは、いかにも浅ましい。

◆5類感染症に変更を

 いずれにしても新型コロナウイルスの変異種が散見され、ウイルスの正体がいまだ未知で、死亡者が増えている以上、特措法改正で引き締めざるを得ない。現在、致死率が5割超えのエボラ出血熱と同様の指定感染症の1、2類扱いをし、それで医療逼迫(ひっぱく)を招いているのは事実だろう。感染者の8~9割は無症状か軽傷で、致死率は2%未満だから、ワクチン接種が普及し治療法が確立してくれば、一部の医師が主張するようにインフルエンザ並みの5類に改めてしかるべきだと思う。

 ただし次なる緊急事態は付け焼き刃で済まない。致死率が6割以上とされる強毒性の鳥インフルエンザ、首都直下地震、南海トラフ大地震、巨大台風、中国の軍事侵略や北朝鮮の暴発…。国家緊急権なしの「平時の憲法」では国民の命を守れない。それでも護憲なら左派紙は度し難い。

(増 記代司)