「不条理」を恨まず実を以て報いた中村哲の生き方伝えたNHKBS

◆際立った言葉の数々

 緊急事態宣言が再び発令された。コロナ禍で、少なからぬ人たちが不条理に喘(あえ)いでいる。

 看取ることもできぬまま家族を失った人がいる。そうかと思えば、感染者をケアしていることで家族が差別に遭い、そのことに身を引き裂かれる思いをしながらケアし続ける医療従事者が存在する。みな不条理である。

 人間の真価は不条理に遭遇した時にこそ現れるのかもしれない。恨みに囚(とら)われ復讐(ふくしゅう)を思うのか、義憤を抱きつつも人生の糧とするのか。

 年末、テレビ番組を見ていて「命がけで不条理に一矢報いる」という言葉を聞いてハッとした。人生を歩む上で胸に刻んでおきたいと思った。

 言葉の主は2019年12月、アフガニスタンで銃撃に遭い命を落とした医師、中村哲。NHKBS1は昨年12月28日、「良心を束ねて河となす~医師・中村哲 73年の軌跡~」を放送した。戦乱が続く現地で医療活動を続け、旱魃(かんばつ)の中、用水路建設に奔走した人生を、知人へのインタビュー、活動を記録した映像、そして彼が綴(つづ)った言葉で振り返った。

 病気や飢えに苦しむ人々のために人生を捧(ささ)げた中村の生き方が感動的で、2時間余りの番組が短く感じられた。その中で、際立ったのは彼の言葉の数々。

 例えば冒頭でこんなナレーションが流れた。「われわれはあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと、心底願っている」。若き頃、作家志望だったという、中村の優れた言語感覚に驚かされた。

◆病の息子置いて活動

 筆者が特に心を打たれたのは01年、米国同時多発テロの少し前、次男が悪性の脳腫瘍にかかり、余命が2年余りしかないことが分かった時のことに触れた文章だ。

 「私の十歳の次男が悪性の脳腫瘍にかかり、死期が近かった。少しでも遊びに連れて行き、楽しい思いをさせたかった。だが、この大混乱の中、どうしても時間を割いてやることができない。可愛い盛りである。親の情としては、『代わりに命をくれてやっても――』とさえ思う。この思いはアフガニスタンでも米国でも同じはずだ。干魃と空爆で命の危機にさらされる子供たちを思えば、他人事と感ぜられなかった」。これは彼の著書『医者、用水路を拓く』からの引用だ。

 息子の病を外部に公表することなく、講演会のために日本各地を飛び回っていた。現地の飢餓を訴えて、食糧支援の募金を呼び掛けるためだ。わずか1カ月で、2億円を超える寄付が集まったという。この寄付金で、飢餓に直面していた15万人に冬を越せるだけの食糧が届けられた。

 だが、翌年12月、次男の容体が悪化し、息を引き取った。「冬枯れの木立の中に一本、小春日和の陽光を浴び、輝くような青葉の肉桂の樹が屹立している。常々、『お前と同じ歳だ』と言ってきたのを思い出して、初めて涙があふれてきた。『見とれ、おまえの弔いはわしが命がけでやる。あの世で待っとれ。空爆と飢餓で犠牲になった子の親たちの気持ちが、いっそう分かるようになった。理不尽に肉親を殺された者が復讐に走るが如く、不条理に一矢報いることを改めて誓った』」(前出の著書から)

◆絶望的な状況も克服

 この後、旱魃に苦しむ人々を救うため用水路建設に着手し、14年余りを費やして2019年に完成する。「完成した美しい堰と大河の流れは悠久の自然と、一瞬の人生を告げます。この世界に生を受け、自然の恵みと先人たちの努力の上に現在があります。ここに遺す一つの種子はその御礼です。それが確実に芽生え、より平和な世界につながるよう祈ります。当地の絶望的な状況にあればこそ実を以て報いたい」(中村の活動を支援する国際NGO「ペシャワール会」の会報より)。

 愛するわが子を病気で失って「不条理に一矢報いる」と誓い、絶望に実を以て報いたいと綴った中村哲とは、どんな人間だったのか。さらに知りたいと思った。この欄では、NHKの偏向報道を批判することが多い。しかし、優れたドキュメンタリーを発表するのもNHK。それを象徴する番組だった。(敬称略)

(森田清策)