中高年の“懺悔”特集のような週刊現代、物足りぬ共産圏礼賛報道の検証

◆若い読者眼中になし

 週刊誌が中高年の、もっといえば団塊の世代の読み物に特化していることは何度も取り上げたが、12月12・19日号の週刊現代は記事のどれもこれもが中高年に向けたものとなっており、大袈裟(おおげさ)でなく目を見張ってしまった。

 老後、財産、相続、夫婦、介護を特集した「夫婦で幸せになるための『最後の総力戦』」の記事は定番で、手を変え品を変え繰り返し特集される。だが40代いや50代でさえ、まだ関心を抱かない話題ばかり。最初から若い読者は眼中にない。そのターゲットの絞り込みっぷりがむしろ潔くもある。

 おそらくカラオケで十八番(おはこ)にしているご同輩も多いと思われる「中島みゆき」。彼女の「名曲『ファイト!』を聞き直す」の記事は、コロナ禍で一層あぶり出されている“冷笑社会”に立ち向かう人々を応援する。必死に頑張っている者を「何もしない奴(やつ)らが笑う」。それに負けるな、と自身にエールを送る歌詞が染み込む。この情緒は世代を超えて共感されるだろうが、特に「ずっと頑張ってきた」中高年の胸に直球を投げ込む。いい記事である。

◆「沢田研二」への共感

 それに続く「『本物の大人』沢田研二という生き方」は好き嫌いはあるだろうが、世代的にドンピシャリだ。かつてのセクシーなジュリーは見る影もなく肥えてしまった。その「衰えを隠そうともしない。それどころか老いを受け入れ、開き直っているようにすら見える」姿に、同じような体形になった自らを被せて、「彼も頑張っているよなあ」と勝手な共感を重ねる。

 9000人観客の約束が7000人しか入らないとして、コンサートを当日キャンセルした。ジュリーは批判を受けたが、それを真正面から受け止めながら、「そんな客席がスカスカの状態でやるのは酷。僕にも意地がある」の生き方は、自分ではできないからこそ、「やってこそジュリーだ」の喝采を呼ぶ。それがアイドルたる所以(ゆえん)だ。

 「巻末大特集」と銘打った「僕たちは、いったい何を考えてきたのか」は読ませた。各界の名を成した人物たちが、自身の人生を振り返って、あの時、あの道を選んでいたら、と別の可能性を夢想してみる。また、岐路や転機で間違った道を選び、その間違いを今ようやく認めることができた話。結婚、就職、進路、選んできた道に間違いはなかったと言い聞かせつつ、それでも、別の人生もあった、と思ってしまう。懺悔(ざんげ)録のようだ。

 まさに懺悔が必要なのがこれだ。同誌の検証シリーズ「人はなぜ間違えるのか」の2回目、「新聞もテレビもジャーナリストも研究者も、どうしてソ連と北朝鮮を賛美してしまったのか」である。

 かつて朝日新聞をはじめとする日本のマスコミや学者はソ連や北朝鮮を「夢と希望があふれる」と美化して賛美し、当時の国民、特に若者を誤導していった。その責任は誰にあるか。全てマスコミにあるとこの記事は言っている。当時の記者や編集者はどういう思いで、ソ連や北朝鮮を取材し、共産主義の実態を目にしていながら、事実を捻(ね)じ曲げて、嘘(うそ)の報道をしたのか。同誌は当時の記者に取材しているが、結論的にこういう言い訳になった。

 「戦争で背負った罪の意識。国力で追いつかれ、追い越されるかもしれないという恐れ。共産圏を礼賛すれども批判しないメディア。こうした要因が絡み合って、ソ連や北朝鮮に対する憧れは形作られていった」と。

◆本腰を入れ大検証を

 しかし、記事は上っ面をなでているようで物足りない。1970年代後半のベトナム・ボートピープル、79年の中越戦争等で、彼らが描いてきた共産主義に対する幻想が崩れ始め、実態が明らかになりつつあった時でさえ、共産主義を擁護していたではないか。かつての間違いを認めるのなら、今からでも本腰を入れて大検証に取り組んでみるのもいい。学者とマスコミの責任だ。この記事が切っ掛けとなることを願う。

(岩崎 哲)