政治闘争思わす紙面作りでジャーナリズムと無関係の赤旗に近づく朝毎

◆“手柄話”を垂れ流し

 随分、昔の話だが、東京・代々木にある「日本共産党本部ビル」をアポなしで訪ねたことがある。現在のビルは党創立80年の2002年に建てられた新ビルだが、当時は印刷工場を思わせる旧ビルだった。玄関から入るや、屈強な「防衛隊員」(共産党青年組織「民青」ではそう呼んだ)が駆け付け、つまみ出されてしまった。今も党本部の内部にはそうそう入れまい。

 その党本部ビルを朝日と毎日の記者が訪ねている。それも共産党の心臓部とも言える機関紙「しんぶん赤旗」の編集局内だ。そして11月下旬にこんな記事が載った。

 朝日=「赤旗」、党活動と報道の間で 「桜」記事がジャーナリスト団体「大賞」(11月28日付「メディアタイムズ」)

 毎日=「桜を見る会」スクープ、赤旗 視点変え、見えた腐敗(30日付夕刊「特集ワイド」)

 いずれも安倍晋三前首相が主催した「桜を見る会」を報じた赤旗日曜版(昨年10月13日付)が「日本ジャーナリスト会議」(JCJ)から「国内の優れた報道に贈られるJCJ大賞」を受賞した話だ。

 朝日は「政党機関紙の受賞は珍しいが、その活動とジャーナリズムは相いれるのか」と斜に構えるが、毎日は「(桜を見る会は)毎日新聞を含めた大手メディアが恒例行事として取材してきたが、赤旗がスクープできて、大手メディアができなかったのはなぜか。日曜版編集長に話を聞いた」(吉川宗記者)と、赤旗の“手柄話”を垂れ流している。

 JCJが賞を発表したのは9月だ。それを11月末に取り上げたのは、東京地検が「桜」前夜祭の会費補填(ほてん)をめぐって安倍前首相の秘書らを聴取し、再び「桜」騒動が浮上したからか。取材したのは朝日が「党幹部でもある小木曽(こぎそ)陽司編集局長と日曜版の山本豊彦編集長」、毎日が「日曜版編集長の山本豊彦さん(58)」。小木曽氏は党常任幹部会委員、山本氏は幹部会員の「上級党員」。個人の考えで編集局に招き入れることはあり得ない。赤旗を宣伝する絶好の機会と捉え、機関決定したに違いない。党から朝毎に声を掛けたのか。

◆JCJの実態触れず

 JCJは1954年、ソ連共産党の前衛組織「国際ジャーナリズム機構」の要請で組織されたのが始まりだ。例年、団体の趣旨に適った報道に賞を与えてきた。「桜」なら世間に通用すると考えて、とうとう共産党機関紙に至ったか。朝毎ともJCJの実態に踏み込まないので純粋なジャーナリスト団体との誤解を与える。

 赤旗が“スクープ”するのは珍しい話ではない。常時、政府・自民党の粗(あら)を探し、省庁や大手企業にも秘密党員が潜り込んでいるとされ、そうした情報を基に独自の記事で政治闘争を繰り広げる。それが赤旗で、ジャーナリズムと呼ぶのは筋違いだ。

 そもそも共産党は警察庁が「現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」(政府答弁書=2016年3月)破壊活動防止法に基づく調査対象団体だ。赤旗は共産党が1921年に「コミンテルン(国際共産党)日本支部」として創立された7年後(28年)に「赤旗(せっき)」として発刊。終戦直後の47年に早くも日刊化し、59年に日曜版を発刊。宮本顕治元委員長は「赤旗株式会社」と揶揄(やゆ)されるほど購読者獲得に党員を駆り立てた。

◆レーニンの教え通り

 それほどまでに力を入れるのはコミンテルンの生みの親、レーニンの教えに忠実だからだ。レーニンは言う。

 「社会主義の公然たる宣伝の道、公然たる政治闘争の道に進み出るときは全国的政治新聞が不可欠である」(『イスクラ』編集局声明草案=1900年2月)

 そんな赤旗がジャーナリズムとは笑わせる。朝日紙上で政治学者の加藤哲郎・一橋大名誉教授は「赤旗も一般紙に近づいている」とするが、話が逆。政治闘争を思わせる朝毎の紙面を見れば、こっちの方こそ「赤旗に近づいている」と言うべきだろう。

(増 記代司)