学術会議問題で戦前の「言論弾圧」を持ち出すが戦争を煽ったのは朝日
◆国民世論は同調せず
メディアは敗れたり―。米国の大統領選でバイデン圧勝の予測を外した米メディアの話ではない。日本の左派メディアのことだ。日本学術会議の会員任命拒否をめぐって「学問の自由を脅かす」と騒ぎ立てたが、国民はそれに同調しない。むしろ、こうした見方に否定的だ。
毎日の世論調査(8日付)では、任命拒否を「問題だ」と答えた人は37%だったのに対して「問題だとは思わない」は44%。菅政権の学術会議の見直し検討には、「適切だ」が58%で、「適切ではない」の24%を圧倒している。任命拒否には納得できない点もあるが、学問の自由を侵害していない。むしろ学術会議の見直しこそ必要。毎日の世論調査からはそう読める。
左派紙が大げさに持ち出したのは戦前の「言論弾圧」だ。朝日の編集委員は競うようにこう書いた。
・豊秀一氏「弾圧踏まえた『自律性守る原則』、侵害」(10月27日付「憲法を考える」)
・曽我豪氏「首相の招き断った、漱石の心中は」(11月1日付「日曜に想う」)
・駒野剛氏「日本きっての国際人 新渡戸が売国奴と呼ばれた日」(10日付「多事奏論」)
記事は1933年の滝川事件や35年の美濃部達吉の天皇機関説事件、お札の顔でなじみ深い夏目漱石や新渡戸稲造まで持ち出し、菅政権を戦前の「軍事政権」と同じだと言わんばかりに批判した。
こじつけも甚だしい。戦前と戦後では法治体系がまるで違っている。「新憲法」を金科玉条にしながら、よくもまあ、戦前と結び付けたものだ。
駒野編集委員の場合はどうか。氏によれば、国際連盟の次長を務めた新渡戸は帰国後、軍部の中国大陸の戦争拡大を憂い、31年の満州事変は耐え難かった。32年2月に講演先の松山市で「『近ごろ毎朝起きて新聞を見ると思わず暗い気持ちになる。日本を滅ぼすのは共産党か軍閥だ。いずれかといえば、今となっては軍閥と答えねばならない』と発言、軍部や関係者を激高させた」と書く。
◆朝毎が軍賛美の報道
新渡戸をして毎朝、「暗い気持ち」にさせた新聞は朝日にほかならない。「満州事変をきっかけに陸軍の行動を謳歌する『挙国一致』のマスコミの大合唱」(『変貌する現代世界』講談社、73年刊=鳥海靖・東大教授「激動の中の日本」)を担っていたからだ。
満州事変の発端となった柳条溝事件(31年9月)について朝日は、非は支那側にあると断じ、「日本の堪忍袋の緒は見事に切れた。真に憤るものは強い。わが正義の一撃は早くも、奉天城の占領を伝ふ。日本軍の強くて正しいことを徹底的に知らしめよ」(東京朝日新聞31年9月19日付夕刊)と歓喜した。
事変3日後にいち早く現地からニュースフィルムを東京本社に運んで上映会を開き、「大喝さいを博した。続々と集まって来る観衆のために、引続き三回にわたって映写をくり返し、大成功を収めた」と自賛した(同22日付)。
当時のマスコミとは新聞のことだ。25年から始まったラジオの普及率は6%程度。これに対して朝日と毎日はそれぞれ100万~150万の巨大部数を誇っていた。政府や元老・重臣は軍の暴走を抑えようとし、国民も軍に対して批判的だったが、新聞の軍賛美報道に沸き立ち、世論は一変。満州事変を非難する国際連盟のリットン調査団報告に新聞は激高し、脱退支持の世論をつくり出して日本を戦争へと駆り立てた。
◆共産主義拡大に加勢
駒野氏の記事にはないが、前述の新渡戸発言はこう続く。「軍閥が極度に軍国主義を発揮すると、それにつれて共産党はその反動でますます勢いを増すだろう。共産主義思想はこのままでは漸次ひろがるであろう」(ウィキペディア「新渡戸稲造」参照)
この予言通り戦後、共産主義が広がった。学術会議も浸食された。加勢したのは、またもや朝日。新渡戸は天国で「日本を滅ぼすのは朝日だ」と、さぞや憂いていよう。
(増 記代司)