「護憲ありき」の野党を後押しし日本の進路を危うくする左派メディア
◆提言まとめた枝野氏
「与党、超党派でしっかり議論していくべきだ」。これは菅義偉首相の国会答弁と思われるかもしれないが、2010年1月の鳩山由紀夫首相の年頭記者会見のものだ。
むろん当時の与党は民主党。前年、自民党から政権を奪取した総選挙で同党は「100年に1度の改革」を唱え、マニフェストには「現行憲法に足らざる点があれば補い、改める点があれば改めることを国民の皆さんに責任を持って提案していく」と約束した。05年秋の「憲法提言」を基に各地で「自由闊達(かったつ)な憲法論議」を進めるともしていた。提言をまとめたのは党憲法調査会長だった枝野幸男氏だ。
だが、民主党政権が超党派で憲法論議を進めることはついぞなかった。同党のマニフェスト破りは多々あるが、これもその一つだ。十年一昔とはいえ、よもや枝野氏はお忘れではあるまい。
旧民主党を引き継ぐ立憲民主党代表になった枝野氏は臨時国会で改憲論議から逃避している。何せ枝野氏は極左集団の核マル派との関係が取り沙汰された人物だ。護憲が本音で憲法論議は方便か。
旧民主党系で「自由闊達な憲法論議」を主張する人々は同党に加わらず、新たに国民民主党をつくり、10月末には立憲民主党との共同会派からも離脱した。これで立憲民主党は“晴れて”共産党や社民党と組める護憲政党となった。
◆詭弁を弄し安倍批判
その野党を後押しするかのように毎日は「憲法改正の議論 『安倍流』の見直しが先だ」(4日付社説)と言う。今さらながらの安倍批判だ。いわく、国の最高法規である憲法の改正は一般の法改正とは異なり、最終的な判断は国民投票に委ねられているから、これを意識し、安倍政権より前の憲法論議は与野党合意を重視して進められてきた。
「ところが、前首相は『改憲ありき』で、野党との対話や合意形成を軽視した。2016年の参院選の結果、『改憲勢力』が発議に必要な3分の2を超える議席を参院でも占めるようになってから、その姿勢は露骨になった」
まったくの詭弁(きべん)と言うほかない。国民投票を意識した「与野党合意」など過去に存在しない。民主党政権でもそんな合意はない。それ以前の自民党政権では衆参の「ねじれ国会」で憲法論議は遅々として進まず、それで野党に妥協を重ねた。その結果の「与野党合意」にすぎない。
その苦汁をなめてきたのが安倍晋三氏だ。第1次安倍内閣の07年5月に憲法改正手続き法を成立させ、衆参両院に改正の発議を行う憲法審査会を設置し、国民投票の仕組みを定めたが、野党が抵抗し憲法改正原案の提出と審査を10年まで凍結する「与野党合意」を余儀なくされた。
同年8月に衆参両院に憲法審査会が設置されたが、野党が審査会の委員数や表決方法などの運営ルールを定める規定を決めさせず、名ばかりにされた。衆院で規定を定めたのは2年後の09年6月。野党多数(当時)の参院はこうした規定すら決めず棚上げにした。その上、09年9月に民主党政権が誕生し、改憲論議が封印された。
◆公約破り奨める毎日
これに対して安倍氏は政権奪還の12年総選挙を含めて6回の国政選挙いずれでも「憲法改正」を公約に掲げ、圧勝した。16年参院選で改憲勢力が発議に必要な3分の2を超える議席を参院でも占めた。それで公約を実行に移そうとした。毎日は民主党政権下で「マニフェスト至上主義」と呼ばれるほど公約実現にこだわっていたのに、こと憲法では公約破りを奨励するのか。
そもそも安倍批判は話があべこべだ。毎日は「乱暴な進め方で憲法論議の土台を壊した前政権の轍(てつ)を踏んではならない」とするが、対話や合意形成を軽視し、審査会の開催をボイコットするなど乱暴だったのは野党だ。だから「憲法論議の土台を壊した野党の轍を踏んではならない」と言うべきだ。「護憲ありき」の野党と左派メディアが日本の進路を危うくしている。
(増 記代司)