「赤い伏魔殿」日本学術会議の正体を明らかにし廃止を提案する産経
◆昔から「左翼の巣窟」
菅義偉首相による日本学術会議の会員候補6人の「任命拒否」はメディアで盛んに報じられているが、そもそも会員の「推薦」に問題はないのか。このことがほとんど論じられないのは不思議だ。
どうやら「拒否」追及の新聞人もそう感じているようで、毎日の青野由利・専門編集委員は17日付コラムで「(会員選出方式を)確認していたら、昨日の朝刊が詳しく書いていた。おさらいすると、210人の現会員と約2000人の現連携会員が会員候補を推薦し、それを基に、選考分科会、選考委員会が絞り込み、新会員候補のリストを決める」と、16日付の毎日紙面をなぞっている。任命拒否が明らかになったのは10月1日、少なくとも毎日は半月以上も推薦の仕組みを記事にしなかったことになる。
といっても、これは形式で内容がない。6人が具体的にどのように会員候補となったのか、毎日も含め左派紙は触れない。まるでタブーのようだ。取材しないのは何か後ろめたいことでもあるのかと勘繰ってしまう。
その毎日のネットに興味深い記事が載った(23日付)。「排除する政治~学術会議問題を考える」シリーズの小林節・慶応大名誉教授のインタビュー記事だ。タイトルに「あそこは左翼の巣窟だけど… 反学術会議派・小林節氏が首相を糾弾する理由」とある。首相糾弾は散々聞かされてきたのでここではさておき、「左翼の巣窟」に注目したい。
氏の話によると、1990年ごろ、憲法学者の世界は8割が左翼、2割が右翼。その「左8割、右2割」という学者の構成が、そのまま日本学術会議の法学者の構成に反映されていたかと言えば、そうではなく「当時の学術会議では、丸めて言えば、ほぼすべてが左で独占されていた」という。
それで日本学術会議で法学系の会員を推薦する長老学者たちの集まりに乗り込んで「学界の構成通り、学術会議の会員も、右の学者をせめて2割は入れるのが筋だ」と談判したが、長老たちは「今のままで何も問題ない」の一点張りだった。なるほど「左翼の巣窟」に違いない。
産経抄(24日付)は毎日1971年3月26日付の「『学術会議は左に偏向』 自民党内に批判が高まる」との記事に「設置の目的から本来中立であるべき同会議の会員の多くが共産党などのシンパで占められ…」とあると紹介する。本欄6日付に共産党が60年代後半から学術会議潜入工作を進めてきたと記したが、その成果が「占められ」である。これは50年前、小林氏は30年前の話だが、今に続くなら学術会議は「赤い伏魔殿」と呼ぶほかない。
◆社共主張と同じ声明
ここはやはり産経の出番のようだ。古森義久・ワシントン特派員は25日付で「日本学術会議にGHQの影」と出自を明らかにし、占領下で元号廃止を正式に決議し、その中で「国民」ではなくあえて「人民」という用語を使う過激な政治性は過去の話として済まされないとし、同じ時期に決めた軍事研究否定の声明はその後も更新され、現在も継承していると指摘する。
酒井充・政治部次長は17日付で「日本学術会議は『中立』なのか」と問い、サンフランシスコ講和条約の「単独講和」反対など旧社会党や共産党の主張そっくりの過去の声明を列挙し、それが現在に引き継がれている証拠として2011年に学術会議会長になった広渡清吾・東大名誉教授の共産支援活動を挙げる。
◆実態語らぬ朝日・毎日
河村直哉・論説委員は18日付で「戦争への反動は左傾した思潮となり、戦後日本を長く覆った」とし、「現在もこの問題で一部知識人や野党、朝日新聞、毎日新聞などがしきりに政権を批判している」と「学術会議の変わらない戦後」を綴(つづ)る。こんな実態は朝日も毎日も黙して語らずだ。
産経の結論は22日付「正論」の「廃止しかない『日本学術会議』」(島田洋一・福井県立大学教授)の一言に尽きる。さて、菅さんはどうする?
(増 記代司)