東電の新事業計画でまたも読売、産経と朝日、毎日、東京で対応二分
◆再稼働求める読・産
東電の新しい事業計画が政府に認定された。2012年5月の当初計画は、想定していた柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働のメドが立たず、計画の抜本的な見直しが迫られていたからである。新事業計画では、同原発2基の再稼働に向けての安全審査を既に原子力規制委員会に申請していることもあり、前回とは事情が大きく変わったと言える。
新計画について社説を掲載した各紙の対応は、予想通り、支持の読売、産経、反対の朝日、毎日、東京に二分した。
読売(16日付社説)は、東電福島第一原発の事故収束と復興加速のため、東電再建策を「絵に描いた餅」にしてはならない、と強調し、規制委には遅滞なき審査を求めた。
同紙の指摘通り、新計画の実現には安全性を確認できた原発の着実な再稼働が不可欠であるからだが、同紙は、新潟県の泉田裕彦知事が同原発の再稼働について「福島の事故検証が先」などと否定的な姿勢を崩しておらず、「新事業計画は出足からつまずく懸念が拭えない」と心配する。
同紙はこのため、柏崎刈羽原発は首都圏の電力供給を担う重要電源であり、「東京都をはじめ電力消費地の首長は、地域経済と住民生活の安定を図るため、原発再稼働への理解を泉田知事らに求める立場であることを、自覚する必要がある」と強調するが、尤(もっと)もな指摘である。
産経(17日付主張)はさらに、「計画を認定した以上、国も大きな責任を負う」として、「計画が前提とする柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けて、国は東電と一体で地元自治体の理解を促す取り組みを加速させなければならない」と国の役割を強調した。
◆猛反発した朝日など
これらに対し、朝日(17日付社説)は「原発再稼働は許されぬ」とし、毎日(19日付社説)は「問題の根は政府にある」、東京(16日付社説)は「原発頼みは筋が通らぬ」と猛反発する。
特に朝日は、事故の当事者として東電が「今やるべき」は、事故の収束と汚染水対策を急ぎ、廃炉の道筋をつけること、そして、被害者への賠償や被災地の除染に万全を期すことのはず、と強調する。
確かにそれはその通りだが、それが終わらなければ他のことはやってはいけないということではあるまい。東電には事故当事者としてばかりでなく、電気事業者として、当面の管内地域の安定した電力供給という責任もあるし、諸産業を支えるエネルギー政策の一翼を担う立場でもある。
また、朝日が指摘したことを進めていく上でも、読売が指摘するように、東電の再建は欠かせないはずである。
しかも、東京が「どこへいったのか」と批判する「フクシマの反省や教訓」を基に、原発の再稼働には新たに設けられた規制委による厳しい安全基準を経るわけである。
当面の現実的な対応としての視点が読売、産経には見られるが、これら反対の3紙には相変わらず不足している。
◆日経が小泉氏を批判
ところで、日経16日付社説は、都知事選に絡め、出馬表明した細川護熙(もりひろ)元首相らが掲げる「脱原発」について、「都知事に原発政策を決める権限はない。その東京で原発を最大の争点に据えることは適切なのだろうか」と疑問を呈し、「細川氏を支持する小泉純一郎元首相のように「『原発ゼロか否かの争い』といった単純な議論はもっとおかしい」と明快に断じた。
この切り捨てぶりは確かに気持ちいいぐらいだが、今にして思うのは、同紙がこのような態度を、なぜ、過去の郵政民営化推進論に対して取れなかったかである。
当時、郵便貯金が持つ約350兆円の資金を、民営化で民間に流すことができれば経済活性につながるとして、小泉首相と竹中平蔵担当相らが「官から民へ」と大々的に推進した郵政民営化だったが、結果はその後もデフレは継続し、経済活性化にほとんど貢献しなかった。かえって、分社化により郵政サービスが悪化し、郵政民営化の見直し作業が後に行われたほどである。
今回の小泉氏に対する日経の態度に異議はなく、むしろ同感の意を強くする方だが、だからこそ、逆に今回と同様の独善的な小泉氏の郵政民営化への支持はなぜだったのか、小泉氏が当時は首相で力があったからなのか、などと怪訝(けげん)に思えてしまうのだが。
(床井明男)