核ミサイルよりブースターに拘泥する愚かさ指摘した「プライムニュース」
◆腑に落ちぬ配備停止
地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画が突然停止となったのは、迎撃ミサイルのブースター(補助推進装置)の落下を制御するのが難しく、民家に落ちて犠牲が出る危険があるからだという。
だが、待てよ。それでなぜ配備停止になるのか。日本を攻撃するミサイルを迎撃できなかった場合の被害と、ブースター落下による犠牲とどちらが大きいかなど比べるまでもないはず。しかも、北朝鮮などによるミサイルの脅威は高まっている中での配備停止だ。まったく腑(ふ)に落ちない。
河野太郎防衛相が配備プロセスを停止すると発表した翌日(16日)、BSフジ「プライムニュース」で、司会の反町理(フジテレビ報道局解説委員長)が、筆者とまったく同じ疑問を呈した。
「飛んで来るミサイルは、核弾頭を積んでいるかもしれない。それが東京に落ちたら数十万人の人が亡くなる。なのに、確実に亡くなる人が出るかどうか分からないブースター落下時の安全が担保されないからといって、核ミサイルを撃ち落とすミサイルの配備をやめていいのか。その議論が飛ばされている」
「私も反町さんがおっしゃった疑問とまったく同じだ。戦後の日本社会の状況の中で、そもそもこのような疑問を提示して、議論する土台があるか。そのことを言い出す政治家がいるか」。こう応じたのはこの日のゲストコメンテーターの櫻井よしこ(国家基本問題研究所理事長)だ。
そして「国民も含めて、日本はあまりに軍事に対して無関心。安心・安全があって当たり前で、誰かが絶対守ってくれるという、他者に依存する精神生活をずっとしてきた。このへんを議論した方がいい」と、軍事的議論を忌避する戦後社会の欠陥を指摘した。
◆精査怠った日米双方
さらに、「よく言っていただいた」と語ったのは、もう一人のゲストコメンテーター、小野寺五典(元防衛相)だ。
「例えば、日本を攻撃する戦闘機や爆撃機がある場合、当然、日本を守るために撃ち落とす。その場所が日本上空であれば、飛行機の残骸は国内に落ちる。ですが、攻撃を受けるよりはまだその方が被害が少なく極小化できる。だから、その対応をする。いずれにしても、何かで攻撃されたときにそれを防ぐのは、テレビ・ゲームの世界ではないので(ある程度の犠牲が出ることがあっても)、それを正面から説明することが大事」と、当たり前のことを議論できる社会になるべきだと言うのだ。
それにしても、唐突過ぎたイージス・アショア配備計画の停止発表だった。その背景について、配備を閣議決定した当時の防衛相で、この問題に詳しい小野寺は次のように解説した。
米国のミサイル防衛局からは、落下するブースターをコントロールすることは可能と説明を受けていたので、配備候補地に選定された秋田市と山口県萩市、阿武町の住民には「安全」と説明してきた。
ところが、今年初め、米国側からコントロールは「難しいかもしれない」と言われた。さらに5月、防衛省が説明してきたように、ブースターを基地内に落下させるようにするには、ブースターの改修が必要で、それには時間も費用も掛かることが分かった。そこで、河野防衛相が急遽(きゅうきょ)会見し、配備計画の停止を発表したというのだ。
要するに、地元にはこれまで「安全」と説明してきたので、ブースター落下による犠牲はたとえあっても小さいから合理的な判断をしてほしいと言っても、もう信頼されない。だから、今回の判断に至ったのだが、「ブースター落下について精査してこなかった米国側にも日本側にも責任がある」(小野寺)のは確かだ。
◆リスク受容する覚悟
また、櫻井が指摘したように、安全を絶対視する国民にも問題があって、ある程度のリスクを引き受ける覚悟と賢さが国民になければ、そのリスクの何倍もの被害を受けることになるということも忘れてはならない。(敬称略)
(森田清策)