横田滋さん死去、スパイ防止法整備に沈黙するメディアは今も死んでいる

◆無視されたスクープ

 横田滋さんが87歳で召天された。愛娘のめぐみさん(当時、13歳)が中学校からの帰宅途中に行方不明となって43年、人生の半分を離別の苦しみと闘ってこられた。北朝鮮による拉致と判明した1997年以降、日本人拉致被害者の家族を代表して妻の早紀江さんと全国行脚され、救出署名は98年春に100万人を超えた。滋さんと握手を交わした人は幾万人に上るだろうか。

 「メディアは死んでいた」。めぐみさんの拉致を初報した元産経記者、阿部雅美氏の著作のタイトルだ。副題に「検証 北朝鮮拉致報道」とある(産経出版刊、2018年)。阿部氏は1980年1月7日付のサンケイ(当時)1面トップに「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与? 戸籍入手が目的か」とスクープした。78年夏の蓮池薫さんらの拉致事件のことだった。

 北朝鮮によるスパイ工作はかねてからあった。これを防ぐため79年に政財界のお目付け役といわれた木内信胤氏らの呼び掛けで「スパイ防止法制定国民会議」が発足。本紙は同年2月25日付1面トップで報じたが、大半のメディアは無視した。産経スクープも荒唐無稽(むけい)な虚報、捏造(ねつぞう)として葬られた。

 87年には大韓航空機爆破事件が起こった。逮捕された金賢姫・実行犯は当初、「蜂谷真由美」と名乗り、日本人に成り済ますため平壌の施設で日本人女性(後に拉致被害者、田口八重子さんと判明)から教育を受けたと証言。翌年の国会で政府は「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と初めて答弁したが、産経がベタ記事で報じた以外は黙殺した。

 97年1月、北朝鮮亡命工作員がめぐみさん生存情報を明らかにした。これを阿部氏は産経2月3日付1面で「20年前、13歳少女拉致 北朝鮮亡命工作員証言 新潟失踪事件と酷似」と、めぐみさんを実名で報じた。これも他メディアは無視。まさにメディアは死んでいた。同報道と17年を隔てた前記の2件のスクープで阿部氏は97年度の新聞協会賞を受賞した。

◆拉致の初報記述せず

 今回の滋さん死去報道を見ると、「メディアは死んでいた」と過去形で言うわけにはいかない。第一に、どの新聞にもアベック蒸発事件の記述がない(むろん産経を除く)。拉致の初報は新聞協会賞のお墨付きを得ても今なお無視され続けているのだ。

 97年の報道については、拉致疑惑が「報道と国会質問で表面化」(朝日6日付)、「一部のメディアで大々的に報じられた」(読売8日付)とするが、その報道は産経、国会質問は西村慎吾氏(当時、新進党)だったと書かない。これも無視。右派紙や右派人士では都合が悪いからか。

 第二に、拉致を阻止する法整備や体制づくりに沈黙している。スパイ防止法についてだ。初代内閣安全保障室長の故・佐々淳行氏は「スパイ防止法が制定されていれば、悲惨な拉致事件も起こらずにすんだ」と言明している(月刊『諸君』2002年12月号)。北朝鮮は工作員に「日本にはスパイ罪がないから、つかまっても二年間我慢すれば帰国できる」と教えていたからだ(警察庁警備局編『スパイの実態』日刊労働通信社刊)。

◆朝日は北工作を認識

 朝日は北の工作を知っていた。1977年11月10日付に「三鷹市役所の警備員 工作船で北朝鮮へ」との記事がある。ただし「懐柔? 日本人では初 能登半島から密出国」と、「懐柔」としている。警備員は政府が拉致被害者と認定している久米裕さん(当時、52歳)だ。その5日後の11月15日にめぐみさんは新潟県の海岸から連れ去られた。

 それでも朝日はスパイ防止法に反対だ。その意味で北の工作に手を貸したのも同然だが、7日付社説は臆面もなく「悲劇を繰り返させまい」と言っている。これでは武漢ウイルスの習近平・中国国家主席よろしく「消防士のふりをする放火犯」の体である。だからメディアは今も死んでいる。そう断じざるを得ないのだ。

(増 記代司)