スターリンと安倍首相を同列に置く水島氏用い検察定年延長批判する毎日

◆厳粛な検察官の仕事

 「文明とは正義の普(あまね)く行われていること」。明治維新の元勲、西郷隆盛の言である。果たして戦後日本はより文明的になっただろうか。元検事の佐藤欣子さんはそう問うた。

 正義を体現する検察官のバッジ「秋霜(しゅうそう)烈日(れつじつ)」は、秋に降りる霜と夏の厳しい日差しを刑罰や志操の厳しさに例えられている。正義の実現には、まず真実を発見せねばならない。これは容易でない。さまざまな制約の中で、裁判の基礎を絶対的な客観的事実に近づけようとする。それが検察の真実主義だ。それには犯人の自白も軽視できない。

 「どんなに憎むべき犯罪行為でも、その歴史的・社会的背景、犯人の素質や環境など諸般の事情を考慮すれば酌量の余地がまったくないというものはないだろう。罪人を地獄の業火に落としながら、秋霜烈日の閻魔(えんま)の目は憐憫(れんびん)にうるんでいる。しかし、罪人は業火に焼かれることによって更生できるのである。『泣き閻魔』こそ司法官の理想であった」(『お疲れさま 日本国憲法』TBSブリタニカ)

 それで佐藤さんは、自白軽視と黙秘権濫用(らんよう)は真実主義と情状酌量を否定し正義に反すると批判しておられた。検察の仕事はかくも厳粛だ。

 そんな検察官の定年を65歳に引き上げる検察庁法改正案が論議を呼んでいる。同案は国家公務員の定年延長に伴うもので時代の要請だ。批判は63歳に達した幹部(次長検事と検事長ら)が役職を外れる「役職定年制」に特例を設け、内閣・法相の判断で役職を最長3年延長できる点だ。朝日は「政権に都合の良い幹部をポストにとどめ、不都合なら退職してもらう人事ができる余地が生まれる」(17日付)と断ずる。

 だが、うがち過ぎだ。「大量任官された世代が高齢となり今後は定年や役職延長を組み合わせないと人事が回らない」し「(延長は)検察側からの上申に基づく」(検察幹部=産経16日付)。検察庁は行政機関の一つで、現行法でも検事総長と次長検事、検事長は内閣が任免権を持つ。それは「国民主権の見地から、公務員である検察官に民主的な統制を及ぼすため」(森雅子法相=15日の衆院内閣委)だ。憲法はそう制度設計している。

◆ネット上で批判煽る

 ところが、毎日のネット上で護憲派の憲法学者、水島朝穂・早大教授が「スターリンを思わせる『政治検察』生む検察庁法改正案」と、安倍首相をスターリンの「血の粛清」に模して批判を煽(あお)っているから驚かされた(11日)。

 「よく安倍政権をヒトラー政権になぞらえる論者がいますが、そうじゃない。私はむしろ旧ソ連のスターリンを想起する」「検察が大量粛清の先兵になったんです。…次々にスターリンのライバルたちを起訴し、銃殺刑に追いやりました」とし、改正案にその懸念があると主張している。

 妄想と言うほかない。スターリンの独裁は特異だ。後の第1書記フルシチョフは「スターリンは取調官を直接自分の所に呼び出し、指示を与えたり、取り調べの際に用いるべき方法を助言したりしました。その方法というのは、実に簡単なものでした。すなわち、殴れ、殴れ、もっと殴れ、というのです」と証言している(志水速雄訳『フルシチョフ秘密報告 スターリン批判』講談社学術文庫)。

 スターリンと安倍首相を同列に置く水島氏は曲学阿世の徒としか思えない。学問の真理に背いて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えている。むろん反安倍の世間に、だ。

◆紙面では客観性装う

 水島氏のインタビューは毎日15日付紙面の「論点」にも掲載されたが、見出しにはスターリンの文字が消されていた。ネットでは煽り、紙面では客観性を装うのは、虚偽の後ろめたさがある証拠だ。

 それにしても定年延長ごときで秋霜烈日の「泣き閻魔」が悪代官に陥ると考えるのは、あまりにも失礼な話だ。嘘(うそ)つきは泥棒の始まり(政権泥棒)。閻魔サマに舌を抜かれるよ、とご忠告申し上げたい。

(増 記代司)