世界的な視点で日本史を読み解こうと試みたダイヤモンドの歴史特集

◆単なる便宜上の区分

 英国の歴史学者E・H・カーは、著書『歴史とは何か』(岩波書店)の中で「歴史とは、歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、“現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話”である」と語っている。その一方で巷(ちまた)には、「歴史は勝者が作り、敗者は文学を作る」という言葉がある。この命題の真偽は別にして、歴史にはある種の「主観」が入っていることを前提に見るべきという戒めが込められているのだろうが、カーは、“主観的”な歴史的事実だったとしても、あえて自らの主観を相対化して問い直す存在として「歴史に向き合う」ことの重要性を説いている。

 ところで経済誌ではよく歴史をテーマに取り上げる。近いところでは週刊東洋経済が昨年12月17日号で「世界史と宗教」をテーマに特集を組んだ。そして今回は、週刊ダイヤモンドが2月15日号で「世界史でわかる日本史」をテーマに、世界と日本の歴史的関わりについて問い直そうとする。というのも同誌によれば、従来の日本史の捉え方が「閉鎖的」「固定的」ではなかったのか、というのだ。「(本来、歴史には)『日本史』『世界史』という区分けは存在せず、教育システムや受験勉強のために便宜上、分けられたにすぎない。それが歴史をつまらなくしている」(同誌)と指摘しながら、「歴史に意味がなければ、我々は今、何のために生きているのか。…日常でもビジネスでも何が起きるか分からないこの時代。本特集をきっかけに、あらためて歴史を学んでみてほしい」と熱く綴(つづ)る。

 中でも、「白村江の戦い」(663年)や元寇(1274、81年)、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」(1592、97年)などは、単なる国内問題として捉えるのではなく、当時の東アジアの動向あるいは大航海時代に入ったヨーロッパの情勢を理解せずして論じることはできないと訴える。確かに日本は既に世界史の一部になっていたのである。

◆感染症が歴史を左右

 特集の中で一つ目に付く箇所があった。それは感染症が世界史に影響を及ぼした事例である。同誌は、最近の新型コロナウイルスの感染拡大からこのテーマを選んだのであろう。同号では1918年に発生したスペイン風邪を紹介し、当時の世界的な感染の広がりを指摘する。「第1次世界大戦さなかに瞬く間に世界中に広がった。世界の人口の約50%が感染し、25%が発症。死者は5000万人ともいわれている」というほど。日本でも2400万人が感染し、40万人近い犠牲者を出した。「抗生物質がまだ発見されていないため、手洗いやうがい、患者の隔離、集団行動の抑制といったことしか手だてがなかった」(同誌)という。スペイン風邪は、記録がある中では人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)であった。

 もう一つ、世界史の中で感染症が猛威を振るった事例としてはペスト(黒死病)がある。ペストについては特集の中では触れられていないが、これも歴史を左右する出来事であった。モンゴルを発生源とし、14世紀後半、イタリア南部のメッシーナに入港した12隻のガレー船から欧州に広がったペストによって15世紀前半まで8000万人から1億人が死亡したと推計されている。ここで重要なのは、そうした世界規模の感染症が当時の世界の枠組み(スキーム)を変化させるほどの影響力を持っていたということである。第1次世界大戦中に発生したスペイン風邪は、多大の犠牲者の元、各国の戦力不足を招き、大戦の終結を早めたという。一方、ペストは農民人口を減少させ、当時の荘園制の解体の引き金となり、とりわけ英国においては農民の経済状態が改善されていくのである。

◆国難克服し範を示せ

 ダイヤモンドは今回の新型コロナウイルスを引き合いに出し、「今回の新型肺炎は米中貿易戦争にどのような影響を与えるのだろうか」と問い掛けているが、何よりも世界史的に見るならば、元寇の時のように、世界的感染症の襲来という国難の中で国民が一つとなり、それを乗り越えることで世界に範を示すことが求められているのであろう。

(湯朝 肇)