イランの影響力が拡大するイラクの体制変革の必要性を訴える米誌

◆試練に立つ「民主化」

 2003年の米軍侵攻で、フセイン独裁体制から解放されたイラク。国内多数派のイスラム教シーア派主導で進められてきた「民主化」が内外からの圧力で試練に立たされている。

 昨年10月、イラクで民主化、イランからの影響の排除を求めて大規模なデモが発生し、少なくとも500人が死亡した。デモは主に同国中部から南部のシーア派の若者らが主体となって行われたもの。

 鎮圧に当たったのもイラク国内で大きな力を持つ「人民動員軍(PMF)」などのシーア派主体の民兵組織とされており、イラクの多数派シーア派内で、主にイランのイラク国内での影響力拡大をめぐって分断が生じている。

 フセイン政権崩壊後、シーア派と北部のクルド人は米軍の侵攻を歓迎、フセイン政権下で体制側だったスンニ派は反対した。体制崩壊後、シーア派を主体に国内の再建が進められてきた。しかし、今、その勢力図に変化が起き始めている。

 カタールの衛星テレビ局アルジャジーラによると、「ここ数年、イランがイラク政治での役割を強化した」ことから、「各勢力の態度が変化した」という。

 シーア派の多くがイランに同調、反米姿勢を強める一方で、シーア派住民の中に、若者を中心に反イラン感情が高まっている。バグダッドの政府・市民社会独立研究所の調査によると、14年にイラクのシーア派の86%がイランに好意的だったが、19年には41%に低下している。

◆米との関係不透明に

 一方で1月3日、イラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官がイラク領内で米軍によって殺害されたことから、イラク政府内に激震が走った。イラクと米国の間の協定によると、イラク領内での米国による第三国の利権に対する攻撃は違法とされており、シーア派主体のイラク政府が直ちに反応。イラク議会が米軍撤収要求を決議し、政府も議会決議を受けて、米国に撤収を求めており、今後の米イラク関係を不透明にしている。

 スンニ派にとって米軍は「少なくとも短期的には安定要因」(アルジャジーラ)であり、中央政府と対立する北部のクルド人勢力も米軍駐留を支持しているものとみられる。

 米軍駐留はイラクの安定化に貢献することが期待されるものの、現状では、「米軍のプレゼンスをめぐる不一致がイラクを不安定化させている」(アルジャジーラ)という皮肉な結果を生んでいる。

 米誌フォーリン・ポリシーは、フセイン体制崩壊後の政治体制の正統性の崩壊、イランとシーア派民兵らによる影響力の拡大という二つの問題をイラクは抱えていると指摘。「米国は、(シーア派の)アラウィ次期首相と距離を置き、主権、独立、クリーンな政府を求める反政府デモを支援すべきだ」と主張する。

 25歳以下が人口のほぼ6割を占めるイラクで、多数派のシーア派主体の反政府デモが起きていることの「重要性は計り知れない」(フォーリン・ポリシー)。

◆米の政策が混乱招く

 ソレイマニ司令官、米軍に殺害されたシーア派軍事組織の連合隊「人民防衛隊」の副司令官アブ・マフディ・アルムハンディス容疑者は共に、シーア派民兵を率い、反政府デモの鎮圧に当たっていたとされている。

 両者の殺害後、デモのスローガンが「イランは出ていけ」から「アメリカは出ていけ」に変わったのは事実だ。しかし、イランの影響力拡大を抑えるために米軍の存在が不可欠であることに変わりはないとフォーリン・ポリシーは主張する。

 米国の政策のちぐはぐが、イラクに混乱を招いている。

 フォーリン・ポリシーは「たとえ03年以降の米国の政策が間違っていたことを認めることになっても、対イラク政策の大変革の必要性を認めることは、継続可能で有効な長期的なイラク政策を構築することへの第一歩だ」と指摘、一貫性のある対イラク政策の必要性を訴えた。

(本田隆文)