「建国記念の日」に建国をしのぶ記事は載せず休みだけを満喫する各紙

◆国民の祝日と認めず

 「消された建国記念日」。そんなフレーズが脳裏に浮かんだ。先週の建国記念の日の2月11日、各紙に目を通すと、産経と本紙を除いてこの日を祝う記事が紙面のどこにもなかったからだ。

 朝日は1面題字横の日付の下にわずかに「建国記念の日」とあるだけ。その下段の「きょう夕刊休みます」のベタ白抜き文字がはるかに目立った。毎日は欄外の日付の横に「建国記念の日」と記すのみ。読売も同様である。

 安倍晋三首相は11日を前に「新しい令和の時代においても、輝かしい未来を切り拓いていく」とのメッセージを発表したが、これを伝えたのは産経1紙のみだった(1段ベタ記事ではあったが)。

 その日のテレビを見ても、建国記念の日にまつわる番組やニュースはなかった。まるで申し合わせたかのようにメディアは消し去った。この日は、ただの「休日」で、「祝日」とは認めていないようだ。

 この扱いはどうか。「国民の祝日に関する法律」にはこうある。「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける」(第1条)

 建国記念の日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」(第2条)ための祝日である。産経は言う、「初代神武天皇が即位したとされる日である。明治の初めに紀元節として祝日となった。天皇を戴(いただ)き続けてきた世界でもまれな国柄である。その国に生を受けたことを感謝せずにいられない」。本紙も語る、「令和初のこの日を祝い、古事記や、今年で成立から1300年の日本書紀に記された悠久の歴史と父祖たちの営みに思いを馳(は)せたい」と(いずれも11日付社説)。

 法の趣旨に則(のっと)れば、そう祝うべきだろう。そのために国民の祝日は休日とする(第3条)。とすれば、建国をしのばず、国を愛する心を養わず、ただ休みだけを満喫する(夕刊を発行しない)新聞は泥棒根性の極みではないか。

◆支離滅裂な休日容認

 もっとも左派紙は確信犯である。同法は昭和23年に制定されたが、当初、建国記念の日はなかった。占領軍が「紀元節」を戦前の復活として拒否したからだ。左翼はそれに同調し、昭和41年改正で加えられた際、猛反対した。今も反対だが、国民に定着しているから公然と言わず、「休日」を容認している。

 かつて社会党委員長の石橋政嗣氏は「自衛隊は違憲だが、手続き的には合法的に作られた存在だ」との「自衛隊違憲・合法論」をぶち上げ、左右双方から支離滅裂と批判された(1983年)。それと同じ構図で、「建国記念の日は認めないが、手続き的には合法的に作られた存在」とするわけだが、こちらも支離滅裂である。

 産経抄(11日付)によれば、韓国には「建国記念日」が幾つもある。左派勢力は日本統治から解放された1945年8月15日の「光復節」を建国の起点と考え、保守勢力は檀君が天から降りて国を開いた10月3日の「開天節」を建国の日とする。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」を宣言した9月9日で、伝統をことごとく否定する。まさに日本も同じで、左派勢力は「終戦の日」を建国の起点と考え、内心ではこの日を祝日、つまり敗戦を祝いたがっているようだ。

◆政府主催行事もなし

 世界ではフランス革命(7月14日)や辛亥革命(10月10日、中華民国の双十節)のように革命を祝う国もあるが、大半の国は独立の日だ。それだけ植民地が多かったということだろう。神話に基づいて建国の日とするのは日本と韓国の2カ国だけ。まさに世界遺産モノだが、いずれも左翼に消されようとしている。

 それにしても建国記念の日に政府行事がない不思議の国が日本である。ここからいつ脱せるのか。これもまた左派メディアとの大いなる「歴史戦」と言うべきだ。

(増 記代司)